清くも正しくもなかったけれど本物の臭いがする長崎代官 村山等安 [その1]





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                        (写真撮影 三上信一氏)







「キリシタン史」
に興味を持っていると言っても、実は私は「殉教」「隠れキリシタン」にはあまり関心はありません。それらは、信仰の(つまりは心の)問題であって、「客観的に歴史を探求して、できるだけあの時代をリアルに感じたい」という私の動機とは次元が違うことのような気がしているのです。


〈キリシタンは真面目で清く正しい人ばかり?〉

それから、キリシタン時代の日本人信者に対しても、そんなに興味を感じないことの方が多いように思います。その理由は、キリシタンというと真面目で清く正しくてという話が多くてあまりリアルに感じられないからです。高山右近にしても、その他のキリシタン大名にしても本当にそんなに真面目だったんでしょうか。

そもそも、あの時代伝えられたキリスト教はカトリックです。カトリック国を考えてみて下さい。ヨ-ロッパでは、イタリア・フランス・スペイン・ポルトガルなど、そして南米諸国です。何が言いたいかといえば、どちらかと言うと「真面目で清く正しい」とは逆の「リラックスした」印象の国々です。

そういうリラックスした印象の国々から来た宗教の信者が、日本では殆どが真面目で清く正しい人ばかりというのはやっぱり不自然です。「外面的な真面目さ」が別の件で指摘されている「外国人宣教師の“提灯持ち”をひたすら務める、矜恃を持たない」考え方や、自主性・主体性の不足からくるものでなければ良いのですが。

いずれにしても、それは本当なのか、もし本当なら何故そういうことになってしまったのかについて、その理由として思い当たることもあるので、いつか整理してみようと思っています。


〈堕落した生活を送っていた記録のある重要人物がいた〉


ところで、そんなふうに大部分が真面目な人物として描かれているキリシタン時代の信者の中で、影響力のある非常に重要な存在であったのに、その素行については敵対することになったイエズス会のみならず強力な後ろ盾となったドミニコ会系の報告にすら過去の堕落した生活を余すところなく書かれた男がいます。

それが、今回の主人公 村山等安です。


〈長崎代官 村山等安の時代〉



村山等安(トーアン)は、1594年から1618年まで25年間、長崎代官の地位にありました。

それは、秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)の頃から、家康による豊臣方平定(大坂の陣)の後の時期に当たります。

従来からこの時期までのキリシタンに関する重要問題は、ポルトガル貿易とイエズス会の拠点であった長崎に集約されていたと考えることが出来ます。

またこの時期には、ポルトガル船とイエズス会に加えて、フィリピン経由のスペイン船と托鉢修道会(ドミニコ会・フランシスコ会)が長崎に進出してきて諸問題がさらに複雑化しました。そのスペイン系勢力進出の後ろ盾となったのが村山等安です。


次回、堕落した生活の内容を含めて、村山等安の人となりを書いてみたいと思います。






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by GFauree | 2015-02-04 14:05 | 村山等安 | Comments(0)

南米ペル-の首都リマに暮らす団塊世代男が、「大航海時代」とそれ以降に展開された歴史について、思うところを綴っています。カテゴリ-の欄に、過去の記事を、テ-マや人物ごとに分類しています。ご自分の興味のあるカテゴリ-を選んで読んで頂ければ幸いです。