【大航海時代のおと】

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なぜ「ペトロ岐部カスイ」は挫けなかったか [その1]

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1.「ペトロ岐部カスイ」についての新聞記事


これは、昭和39年8月12日付東京新聞(ラジオテレビ版)記事の切り抜きです。
昭和39年つまり1964年の8月と言えば、約50年前の東京オリンピックの2か月前ということになります。

ちなみに、右上の「東京新聞」「第二部」という表示の下の小さな記事は、「フジテレビが翌月からカラ-・テレビの放送を始める」というもので、この時点で「フジテレビはまだカラ-ではなかった」ということが分ります。

さて、問題の記事の内容ですが、「近く“列聖”されることが有力視されている『ペドロ・カスイ岐部』をモデルにしたテレビドラマ制作の注文が放送作家 並河亮氏に、西ドイツ・ケルン・イエズス会から寄せられた」というものです。

今回改めて読んでみて、この記事にはところどころに間違いがあることに気付きました。例えば、「ペドロ・カスイ岐部が近く”列聖”されることが有力視されている」と書かれていることです。


カトリック教会が、信者の死後その徳と聖性を認めて福者(Beato)の称号を与えることは”列福”と呼ばれ、この福者に対し調査を行って聖人(Santo)として認めることを“列聖”というのです。ペトロ岐部カスイが“列福”されたのは、この新聞記事からなんと44年後の2008年のことで、“列聖”の調査はこれからということになります。

それから、“海賊の子でキリシタン武士”などという言葉も興味を引くためのものでしょうが、飛躍がありますしジャ-ナリスティックで鼻につきます。

ただ、どういう事情があったのか、こういう地味な内容がラジオテレビ版とはいえ一般紙で大きく採りあげられていること自体、不思議な感じがします。この時代、日本の社会全体が地味でまじめなものを採りあげる風潮がまだ強かったということなのか、などと考えます。



2.私がこの新聞記事の切り抜きをもっているわけ



この記事が掲載された昭和39年には、私は高校1年生でした。
私が父親から、「ペトロ岐部カスイ」の話を最初に聞いたのは、その前年の中学3年のときです。

父の話は、「江戸時代のはじめに、神父になりたくて独りでロ-マに行った男がいた」ということだったと思います。そのとき、『キリシタン人物の研究』H・チ-スリク著(吉川弘文館)も見せられました。それは、キリシタン時代の岐部を含む3人の日本人司祭の伝記が書かれた本です。

その本の中の岐部自筆のラテン語書簡(1623年2月1日付)の写真も見て、確かにそういう人物がいたらしいことは納得しました。けれども、それ以上考えることはありませんでした。そして、1年後に件の新聞記事を見せられたのです。

その後、遠藤周作が書いた「ペトロ岐部カスイ」の評伝『銃と十字架』が出た1980年ごろ、父のところから上述の『キリシタン人物の研究』を借り出して、それを読んだまま持っていたのです。そして、最近、そこに挟んであった新聞の切り抜きを見つけたというわけです。

私は自分の父親と親しく会話をした覚えというものが殆どありません。この、「ペトロ岐部カスイ」の話以外には父から何か聞いた覚えは余りないのです。でも、それが変なことだとは思っていませんでした。普通の親子というものはそんなものだろうと思っていたのです。

それが、50年以上経った今になって、「どうして父はこと『ペトロ岐部カスイ』については話をしてくれたのだろう」と、ときどき考えるようになっています。



3.キリシタン時代への関心は「ペトロ岐部カスイ」から


私は15~6年前、50歳になった頃からキリシタン時代史に関心を持つようになりました。きっかけは、「ペトロ岐部カスイ」です。

伝えられている「ペトロ岐部カスイ」の生涯を要約すると次のようになると思います。

「大坂の陣」の直前の禁教令を機に1615年頃出国し、5年後にロ-マに到着し司祭となる。3年後にリスボンを出発、その7年後に帰国、9年間 国内潜伏後捕縛され拷問を受け殉教。

これを見てわかるように、彼こそ模範的な信者であり理想的な聖職者であるように思えます。従って彼について語られるときは一般にひたすら最大級の賛辞で飾られることが多く、リアルな人物像が結べず当惑してしまいます。

一方、彼の態度が「“盲目的”信仰に徹することの出来る純粋さ」と評されているケ-スがあります。

さらにはどう評価してよいか苦慮した結果でしょうか、彼を「キリシタン冒険家」と表現しているケ-スさえあるのです。いくら冒険的な生涯であったにせよ、殉教した宗教家に対して「冒険家」はないだろうと思うのです。

こう言う私も、「ペトロ岐部カスイ」をどう考えるかについて、ずっと答えを出せずに来ました。けれど、退職して現役を離れたことや、当地にきたことや、年齢を重ねたせいか、この件についてある程度自分の考えが出来てきたような気がしています。

岐部の生涯についての最大の疑問は、「なぜ彼は幾多の苦難にも挫け(くじけ)なかったか」ということではないかと思います。そこで、今回その疑問に対する答えを考えてみることにしました。「なんだ、そんなことを考えたのか」と言われてしまいそうですが、敢えて私の考えを書いてみよう思います。

そのために、先ずは次回、彼の生涯を簡潔に見直したいと思いますのでお付き合い下さい。


つづく


































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by GFauree | 2015-03-21 11:16 | ペトロ岐部カスイ | Comments(0)