「天正遣欧使節」千々石ミゲルは、なぜ離脱したのか [その2]


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1.「日本使節の見聞対話録」



千々石ミゲルの離脱のきっかけになったのではと私が考えるのは、1590年にマカオで印刷、刊行された「日本使節の見聞対話録」というラテン語で書かれた書物です。

アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノが、ヨ-ロッパから戻ってきた使節たちとインドのゴアで再会した後、一行から見聞や体験を聴取して、旅先での記録を整理し、マカオ滞在中に編纂し、ドゥアルテ・デ・サンデ神父にラテン語に翻訳させたものとされています。

内容は、千々石ミゲルが、大村喜前の弟リノ、有馬晴信の弟レオという二人の従兄弟を相手に、帰国後に旅先での見聞を語る「対話録」になっています。

幸いに、この「対話録」は日本語に翻訳され、「デ・サンデ 天正遣欧使節記」(新異国叢書-雄松堂)という題名で、1969年に出版されていますので、私たちもその内容を覗くことが出来ます。
(七百ページを超える大部の本ですが、ある程度以上の規模の図書館には置かれていると思います。刺激的な内容のものですので、ご自分で目を通して頂く価値はあると思います。)

なぜ「幸いに」かと言いますと、この本は「対話録」の形式をとってはいますが、その内容には編纂者ヴァリニャ-ノの考えが色濃く反映されていると考えられるからです。

この時代、布教長フランシスコ・カブラルをはじめ、日本人や日本の風習を嫌悪すると公言して憚らないヨ-ロッパ人宣教師が少なくなかった中で、最も枢要な地位にあったヴァリニャ-ノ自身は、日本の風俗・習慣への順応主義を明確に打ち出し、日本人自身によるキリシタン教会発展に向けて終始奮闘したとされています。

けれども、ヴァリニャ-ノ自身が、内心どのような考えを持ち、特に、どのような世界観・日本観を持って上に書いたような活動を展開していたのかを示す資料は見あたりません。

そんな中で、この「対話録」は、「実際にその会話が交わされた根拠がない」という虚構性のために、歴史研究の資料としての価値には疑問が持たれていますが、話者である千々石ミゲルを通して、実はヴァリニャ-ノが日本人に伝えたかった自分の世界観・日本観などを遠慮会釈なく語っているために、そこから彼の本心を知ることができると考えられるのです。



2.「対話録」の内容



既に書きましたように、七百ペ-ジを超える大部であり、またそこに書かれた事柄が多岐にわたるため、要約することがかなり難しいので、その内容をお伝えするために、特徴的だと思われる項目ごとに書かれていることをそのまま抜粋しました。


以下、全て千々石ミゲルが語ったものとして書かれています。


(1)ヨ-ロッパについて


p.145 「しかもこの叛乱ということが、ヨ-ロッパの人々の心にとって実に縁遠いものなのだ。」

p.146 「王の下にいる他の権家(貴族)・大名たちは、たがいに戦争することは決してない
      「だから、たがいに確実な平和と安静のうちに生活し戦争や不和は乗ずる余地がない。」

p.615 「ヨ-ロッパの富強の原因は、ヨ-ロッパが平和と静寂のうちに生活を送っていることにあ  
       ると思う。」

p.686 「万事を公平に見渡し、そして公平な秤にかけて考えてみれば、やはりヨ-ロッパが世界の
       あらゆる部分の中でもっとも勝れたものであって、神はその御手に溢れるばかりにもっと
       もよきものを多量に盛ってヨ-ロッパにこれを与え給い、積み上げ給うたのだとの判断を   
       率直に認めざるを得ない。」
      「だからヨ-ロッパはその気候、諸民族の才能、勤勉、高貴さ、生活と統治の方法、多岐に
       わたる学芸において、他のあらゆる地方に勝れているのだ。」

p.687 「何しろ、〇〇〇〇〇〇〇の土着民は、その境域から一歩でも踏み出したことはいまだかつ
       て一度もなく、その才能、勤勉、勇気の見本を示したこともないのだから、かれらはほと
       んどあらゆる教養に欠けていると信じて差し支えなく、これに反して他方ヨ-ロッパの
       人々は全世界に彼らの名声を轟かし、その功業をもって世界を満たしている。」


(2)ある種族の人々について


p.75  「あたかも俯いてひたすら口腹の慾に従うように自然がつくった畜生のごとく、大部分は自
       己の欲望と罪とに耽り、何の修業も、何の洗練された感覚もなく生活している
       だからあるヨ-ロッパの哲学者がかの種族こそ奴隷になるために生まれてきたのだといっ
       たのは、確かに当たっている。」


(3)アフリカについて
 


p.686 「その住民はたいてい色は黒く、あらゆる人間文化から遠ざかった野蛮・獰猛な人間ども 
       ある。」


(4)(南北)アメリカについて 
   


p.690 「さてここにみえるのが、アメリカであって、広いことはもっとも広いが、そこには色の
       どす黒いきわめて下等な人種が多数に住み、その全部が、少数のヨ-ロッパ人に打ち従え
       られて、ヨ-ロッパ人の権力の下に生活し、ヨ-ロッパ人を自分たちに対する当然の支配
       者のごとく考えているぐらいだ。」


(5)日本について



p.615 「日本では全国を通じて不断に戦争が行われ、したがってその災禍と害毒は全国を覆ってい
       るために、畠に種を蒔くことも収穫を集めることも、むしろ不可能に近く、全国至る所
       、戦乱が都市と田畑をわがもの顔に荒すことになっている。」

p.188 (日本の舞踊について)
      
      「その一つはわが国の人々の間で舞踊する者は、たいてい、死んでしまったどこかの女が髪
       を振り乱し、悲しげな面持をした陰惨な仮面をかぶるとか、同様に人体からすでに抜け出
       た魂を表わす仮面を装うとかして人の前に出るが、これは舞踊にふさわしい快感や陽気さ  
       よりも、むしろ悲痛な哀愁を生ずるもののように思われる。
       
       このために、日本の舞踊はヨ-ロッパ人にとっては賑やかで面白いものというよりは、
       むしろ何だか騒々しく混乱した叫び合いとしか思われないようだ。」


(6)世界各地に散在する日本人奴隷について


p.232 「日本人には慾心と金銭への執着がはなはだしく、そのためたがいに身を売るようなことをし
       て、日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨ-ロッパ人はみ
       な、不思議におもっているのである

       そのうえ、われわれとしても、このたびの旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日
       本人を親しく見たときには、道義をいっさい忘れて、血と言語を同じうする同国人をさな 
       がら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への義憤の激しい怒りに燃え
       立たざるを得なかった。」

       「ポルトガルの国民は奴隷に対して慈悲深くもあり親切でもあって、彼らにキリスト教の
        教条を教え込んでもくれるからだ。」

       (この件で、ポルトガル人やイエズス会の責任を追及する日本人がいることについて)
      
       「いや、この点でポルトガル人にはいささかの罪もない。」




以上書かれている内容は、ヨ-ロッパ・キリスト教社会への一方的な礼賛、非ヨ-ロッパ人・非ヨ-ロッパ社会への偏見・差別・蔑視、非ヨ-ロッパ文化に対する無理解、解決困難な問題についての責任回避です。


次回、この「対話録」の内容と千々石ミゲルの離脱について私の考えるところをお伝えしたいと思います。


〈つづく〉


        

      
      







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by GFauree | 2015-07-03 09:12 | 千々石ミゲル | Comments(0)

南米ペル-の首都リマに暮らす団塊世代男が、「大航海時代」とそれ以降に展開された歴史について、思うところを綴っています。カテゴリ-の欄に、過去の記事を、テ-マや人物ごとに分類しています。ご自分の興味のあるカテゴリ-を選んで読んで頂ければ幸いです。