“生ける車輪”南蛮医アルメイダの実像 [その3]

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                          〈フランシスコ・ザビエルの肖像〉FRANCISCO XAVIER EN EL JAPON より
                          






前回[その2]では、「伝説の名医修道士」ルイス・デ・アルメイダが、イエズス会に入会する前に生きていた世界を表わしていると思われる事項を、岡 美穂子著 「商人と宣教師 南蛮貿易の世界」の内容から抽出してみました。

それは、以下の三つの事項です。

1.ザビエルの「中国使節派遣計画」を、支援した個人海商ディオゴ・ペレイラと妨害したマラッカ長官アルヴァロ・アタイ-デ・ダ・ガマ

2.もう一人の貿易商出身のイエズス会修道士メンデス・ピント

3.イエズス会インド管区長バレト・ベルショ-ル・ヌネスとルイス・デ・アルメイダについて 


今回[その3]では、上記1.ついて、私が考えるところを書いてみたいと思います。



[ザビエルの「中国使節派遣計画」を、支援した個人海商ディオゴ・ペレイラと妨害したマラッカ長官アルヴァロ・アタイ-デ・ダ・ガマ]


私は、ザビエルが日本での滞在を僅か2年3カ月で終わらせてインドへ戻り、企図していた中国への布教活動を開始するべく上川島へ渡り、そこで病死したことは、おぼろげながら知っていました。けれども、このように具体的な計画の下に、また妨害まで受けながら、それが実行されようとしていたことまでは、知りませんでした。


今回、この「中国使節派遣計画」の存在に接して、ルイス・アルメイダとの関連からも、またこの計画の顛末そのものも、興味深く感じています。


そこで、以下に、その二点に分けて、感ずるところをお伝えしたい、と思います。



(1)ルイス・デ・アルメイダとの関連


既に前回[その2]の記事に書きましたように、ザビエルの「中国使節派遣計画」は、1520年頃から中国沿岸部で、盛んに密貿易を行っていたポルトガル人グループと、その地域からさらに東アジアの地域を目指していたイエズス会宣教師との関係を表わしています。


アルメイダは、1550年から1555年まで、ほぼ毎年上川島⇔平戸のル-トを往来した私的貿易海商ドゥアルテ・デ・ガマの乗組員として日本を訪れているのですから、まさにそのポルトガル人グル-プに属していたことになるでしょう。


〈中国官憲による大掃討との関係〉



ザビエルの「中国使節派遣計画」は1548~49年の中国官憲による大掃討の結果、中国側の虜囚となったポルトガル人たちの解放を目的の一つとしていましたが、アルメイダがポルトガルを出てインドに着いたのは1548年の秋頃ということです。従って、おそらくは、大掃討の後に、そのグル-プに加わったのでしょう。


〈密貿易グル-プとの関係〉


元来、その地域に在留したポルトガル人たちの多くは、ポルトガル領インディア各地の要塞に部隊の随員として渡来し、離脱して海商に転向した者たちであったということです。そして、なかには、華人商人との間に金銭トラブルを起こしたり、掠奪行為を行ったりする者もあったということですから、あまりおとなしくて行儀の良い連中ではなかったのでしょう。


〈属性の違いも、アルメイダの転身の理由の一つとなったのでは〉


一方、アルメイダについては、母国で医師免許を取得していたということや、ラテン語が堪能だったということなどから、相応の教育を受けていたと思われ、当時のヨ-ロッパ社会でも相当教養の高い階層の出身だったと考えられています。


こういう、属性の違いからアルメイダが、そのポルトガル人グル-プに安住することが出来ず、聖職者に転身したと想像しても、あまり無理はなさそうです。



(2)ザビエル「中国使節派遣計画」の顛末


〈懸念したようなことが、起っていたのだ〉



私は、ザビエルの仕事の進め方というか、世渡りの仕方に危なっかしいところがあるのを、感じるようになってきました。聖職者であるにもかかわらず(聖職者であるからこそ、そんなことが出来たという面もあるのですが)、最高権力者である国王と直接のコネクションを持ちそれを存分に活用したところが、現地のポルトガル人官僚たちや、同じ聖職者仲間のうちにも多くの敵を作ったのではないか、と考えるようになったのです。


以前は、私も無闇に美化され礼賛されるザビエルを、別の世界の住人の様に冷ややかな目でみていたのですが、記事を書くために調べたりしているうちに、だんだん、他人ごとではなくなってきて、少し気恥ずかしいのですが、情が移ってきてしまったのです。そうしたら、心配したようなことが起きていたというわけです。


〈アタイ-デは、ディオゴよりザビエルが憎かったはずだ〉


「マラッカ以東のポルトガル人交易ネットワークに君臨し、強大な財力を掌握していた」海商ディオゴを、新任長官アタイ-デは、自らの権限と権益を侵しかねない競合相手と見たはずです。しかし、競合相手は陥(おとしい)れ、叩き潰(たたきつぶ)せば良いのですから、ある意味で対処は単純です。


それに対して、憎むべきはザビエルです。言うまでもなく、海外発展事業・海外布教は王権と教会が協力一致して進めるべき国家プロジェクトであり、ザビエルは教会側代表として、王権の現地官僚トップである自分をこそ支援すべき立場にあるのです。


それなのに、あろうことか、自分の競合相手を盛り立てる計画をつきつけて来た。無礼千万、叩き斬ってやりたいところだが、あいにく、ザビエルは国王のお気に入りだ。へたに手出しすると何を告げ口されるか分からない。ここは、拘束するのはディオゴだけにしておいて、ザビエルは、徹底的に孤立化させるしかない、とアタイ-デが考えても不思議ではないでしょう。


〈ザビエルは自然死だったのか〉


こうなってくると、上川島についてから僅か5カ月で死亡したというザビエルの死因が気になってきます。自然死だったのか、それとも作為死だったのか、ということです。


約70年後の1620年以降に、通辞ジョアン・ロドリゲスによって編纂された「日本教会史」には、この「中国使節派遣計画」の顛末が描かれています。もちろん、これは「教会側発表」ですから、そのつもりで読まねばなりません。


その、第3巻第26章の末尾に、ザビエルのシナ王国への入国を妨げた要因のひとつとして、「15日も続いた彼の熱病があった。そして彼は、この[熱病で]危篤におちいったのである」とあります。また、第27章には「11月20日に熱を出して、12月2日になくなった」とあって、2週間ぐらい発熱があったということだけで、原因は、はっきりしません。


〈他にも、自然死か作為死か、がはっきりしない事例がある〉


ザビエルの死から約40年後の1590年頃のことで、むしろイエズス会内部のことですが、巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノに罷免された副管区長ガスパル・コエリョの死因を巡っては、それが自然死であったのか否かの疑問が呈されています。
(安野眞幸著 「教会領長崎 イエズス会と日本 講談社メチエ)


この時代のことですから、作為死が見逃される可能性は現在よりはるかに高かっただろうと思います。ということは、記録はあまりあてにならないということです。


〈アタイ-デはそんなに悪いのか〉


色々考えているうちに、疑問が出て来ました。それは、「アタイ-デはそんなに悪いのか」ということです。


マラッカ長官として勇躍、着任したところ、海外事業展開のパ-トナ-である教会側代表で旧知のザビエルは、自分のライバルであり強大な影響力を持つ海商ディエゴと提携して中国進出にも乗り出そうとしている。それを、何とか阻止しようとするのは新任官僚としては当然ではないでしょうか。


私が、それに気付いたのは、「日本教会史」の次の部分を読んでいるときです。


「ドン・アルヴァロ(アタイ-デ)は程なく、体中が酷い癩病になり、2年もたたないうちに、副王ドン・アフォンソ・デ・ノローニャが指令官の地位を解き、その財産を没収し、その罪を告発して、マラッカからインディア、インディアからポルトガルへと鎖につないだまま連れて行かせた。彼はその罪の故に、終身獄につながれていたが、死因は身体を腐らせ、親族や友人たちさえも吐き気を催した異様な臭気のする潰瘍であった。彼はその人々にも見捨てられ、かつて福者パ-ドレ(ザビエル)がいったように、名誉も財産も失って死んだ。」
(ジョアン・ロドリゲス 日本教会史 下 大航海時代叢書 X 岩波書店 p.563)


この全文をそのまま信ずることは困難でしょう。これこそ、勧善懲悪のドラマです。
そこで私は、どうして「中国使節派遣計画」の顛末を勧善懲悪のドラマとして描く必要があったのかを考えました。


〈なぜ、勧善懲悪のドラマが必要か〉


教会は国家と連携して海外布教を進めて行かなければなりませんでした。しかし、この時期、布教推進の基盤である海上輸送機能に関して、国の能力に限界が見え私的貿易商人に依存せざるを得なくなりました。その摩擦に、抵抗する現地官僚が現われ、聖職者が一人犠牲になりました。

しかし、教会は国家と今後も協力して海外布教を進めて行かねばならぬことに変わりはありません。従って、教会は外部に対し、パートナ-である国の能力の限界を明らかにしたり、それを非難したりはしません。そんな秩序を乱すようなことは、したくてもする訳にはいかないし、する筈もありません。

そこで、どちらの側が悪で、どちらの側が善であったかを、あらゆる手段を使って分りやすく明確にしておく努力が払われました。海外発展事業を進める「教俗一致」体制の中で、ザビエル等の奮闘によって、教会が国家に対して掴みかけている主導権を、より確かなものにしていくために必要な事だと考えられたのでしょう。

象徴的なのは、「右腕は、死後約60年経っても腐らず鮮血がほとばしり出た」というザビエルの『奇跡』に対して、アタイ-デの身体は「生きているうちから腐ってしまった」と、「日本教会史」ではされていることです。



次回[その4]では、

2.もう一人の貿易商出身のイエズス会修道士メンデス・ピント
3.イエズス会インド管区長バレト・ベルショ-ル・ヌネスとルイス・デ・アルメイダについて 


について、考えるところを書きたいと思います。


〈つづく〉



[参考図書]

商人と宣教師 南蛮貿易の世界       岡 美穂子著     東京大学出版
教会領長崎 イエズス会と日本        安野眞幸著   講談社選書メチエ
日本教会史 下 ジョアン・ロドリゲス 大航海時代叢書X       岩波書店


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by GFauree | 2015-11-27 14:14 | ルイス・デ・アルメイダ | Comments(0)

南米ペル-の首都リマに暮らす団塊世代男が、「大航海時代」とそれ以降に展開された歴史について、思うところを綴っています。カテゴリ-の欄に、過去の記事を、テ-マや人物ごとに分類しています。ご自分の興味のあるカテゴリ-を選んで読んで頂ければ幸いです。