【大航海時代のおと】

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日本語教室の遠足



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日本語能力試験と妻の誕生日

当地で日本語能力試験が行われるのは年一回、12月第一日曜日だけです。
今年も、私の4人の生徒のうち3人が受験しました。

そこで、一昨日、その慰労会と妻の誕生日祝いを兼ねて、リマ市内の港町カジャオまで、恒例の遠足をしました。メンバ-は、私の日本語の生徒のうち3人と、妻が面倒をみている小・中学生2人、それに妻と私の計7人です。


アブない小型バスで

10時に私の家に集合、まず家のそばから、小型バスに乗ります。この小型バスが結構アブないので少し緊張が必要です。以前のことですが、アブなそうな人たちが乗って来たので妻の指図に従って急いで乗り換えたことがありました。

小型バスで、30分ぐらいで現地に到着します。それから、湾内遊覧のボートに乗り、戻って来てから、岬の突端のレストランで食事です。


ボンヤリしていると食べ物がなくなる

生徒たちは、なま魚に塩・レモン・にんにく・しょうがで味付けしてたまねぎ・ともろこし・さつまいもの仲間を添えたセビ-チェという刺身のサラダみたいな料理が好きですが、私は安全な魚介類の揚げ物専門でビールを飲みます。当地には、クスケ-ニャという、そんなに高くはないけれど世界最高水準の味(と私は信じております)のビ-ルがあります。

生徒たちは、ものすごい勢いでセビ-チェや、魚介類入りチャウファ(当地ではチャ-ハンのことを、チャウファと呼ぶのです。この方が“焼飯”の中国語読みに近いかも知れません。)を平らげていきます。どれも、コレステロ-ル値の上がりそうなものですが、ためらっている暇はありません。どんどん手を出さないと、食べるものがなくなってしまいます。それに、若い人たちと一緒だと、不思議に食欲が湧いてくるのです。


憎まれ口のおしゃべり

そして、食べ物が一段落しても、おしゃべりは続きます。だいたい、私に対しては考え方が自分(男性)中心だとか、趣味が古いとか、妻への愛情表現が足りないとか憎まれ口で終始します。ふだん、日本語を習う時に痛めつけられている(と思っている)ので、逆襲しているつもりなのでしょう。私は、もう酔っぱらっていますから、なにを言われても楽しく聞いています。自分の子供と孫の中間ぐらいの年頃の生徒ですから可愛さしか感じないのです。

日本は男尊女卑かもしれないけど、この国だって本当は一般的・伝統的にマチスモ(マッチョというのはオスのことです)と言われている男性優位の社会じゃないか、とか理路整然と言い返したりしなければいけないのかも知れませんが、彼らの親だって私と同じようなものだろうと思うと、もう面倒くさくてどうでも良くなってしまうのです。


日本語を教えるようになったきっかけ

私が日本語を教えるようになったきっかけは、アジア経済専門の先生が6か月間台湾へ出張することになり、彼が指導している学生グル-プ主催の日本語講習会を任せてもらったことです。

6か月と言っても、週一回3~4時間で、大学の閉鎖(ロック・アウト)もありましたから、確か20回しか出来ませんでしたが、それは私にとって、新鮮で楽しい経験でした。サラリ-マン生活の終わりの頃、新入社員の研修をやらせてもらったときのことを思い出しました。若い人が自分の話を一生懸命聴いてくれるというのは、それだけで嬉しいことです。妻が、全ての講習に立ち会ってくれて、学生とのコミュニケ-ションをとってくれたことで、私も学生たちも大いに助けられたという面もありました。


安全上の問題

先にロック・アウトと書きましたが、約50年前の日本の「大学紛争」をちょうど思い出させる事態が何度かありました。そして、改めて気付いたことは、大学というのは警備上、実に無防備な造りになっている場所だということです。私が講習会をさせて貰った国立大学には語学センタ-があって、そこに、中国も韓国もボランティアの自国語教師を派遣・駐在させているようですが、なぜか日本からの派遣はありません。私は、おそらく安全上の理由からではないか、と思っています。


勇気と責任感のある学生たち

もうこれで、日本語を教えるのも終わりだと思ったとき、二人の学生が続けて教えて欲しいと別々に言ってきました。二人とも明らかにいつも予習・復習をしてくる生徒です。彼らにとって3種類も文字があり、語彙も文法もヨ-ロッパ言語と全く違う日本語がいかに難しい言語であるかを改めて推察していた私は、それを敢えてもっと学習したいという学生の希望を無視できませんでした。

問題は場所です。ここは、安全な場所を経常的に確保するというのが難しい土地柄です。私の家の在る所は別に危険な地域ではないのですが、近所の2カ所のスタ-・バックスが昼間強盗に襲われて、客全員のパソコンが強奪されたということがありました。私の家でやってもいいのですが、週2、3回でも2~3時間必ず誰かが来るというのは、しんどいことです。女子ですから、妻に家にいて貰わなければならないという面もあります。

結局、妻が快く引き受けてくれて、それが今まで続いてきたのです。生徒たちも、どちらが実権者であるかをよく解かっているので、妻への配慮に抜かりはありません。そこが、この国の若い人がしっかりしていると言うか面白いところです。その結果、皆私とより妻と仲がいいのです。うちに来る生徒は、その後二人増えました。

或る時、あまり時間通りに来るので不思議に思っていて、偶々外に出たところ一人の生徒が私の住んでいるアパ-トの玄関で待っていたのです。日本人が時間にうるさいのを知っていて、遅刻しないようにそうしていたのでしょう。


巣立って行く生徒たち

その後、順調に勉強してくれた生徒たちですが、大学で講習会をしてからもうすぐ四年になるのですから、当然、彼らの境遇も変化していきます。大学を卒業し仕事を持つようになると週1回私の家へ来ることさえも難しくなってきました。金融関係の官庁や国立の図書館に勤めたり、スポ-ツ・ジムや空手道場を経営したりしているのです。

境遇も趣味趣向も、したがって目指すところもひとりひとり驚くほど違います。それで、私はただ、将来何かの形で彼らが努力し勉強してきたことが役立って欲しいと願うことにしています。

ある生徒は、早く結婚して子供を持ちたいそうです。その理由は、少しでも社会を良くしていきたいという自分の希望の協力者になって欲しいからだそうです。(そのくらい、この国の実態は問題が多く、せめて自分の子供という味方が欲しいという意味でしょう。)また、ある生徒は、日本の武道の考え方を本当に理解して、空手を教えたいそうです。

私は、彼らが自分の子供や生徒に何かを教えるときに、この日本語学習の経験から滲み出るものが何かあればいいなと思うだけです。
これから、また生徒を採って一から日本語を教える勇気は、今はありません。



(おわり)









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by GFauree | 2015-12-23 05:16 | 日本語個人教授 | Comments(0)