背教者 クリストヴァン・フェレイラ [その1]

a0326062_03495718.jpg

                       ポルトガル リスボン市にある大航海時代を表現した「発見のモニュメント」





「人生は18歳で決まる」
これは、最近のNHKテレビの番組タイトルである。
番組によると、今の高校生50人にアンケ-トをとったところ、約88%が将来を決めているのだそうだ。
また、番組の中で、「将来をきめるのが早いほど、人生は成功する」と、若いパティシエが語っていた。自信ありげにみえた。
そこで私は、「おいおい、ちょっと待ってくれよ」と言いたくなった。

確かに、学者とか、お相撲さんとか、職人さんとかは若いうちに一定の業績を残すレベルに到達することが必要らしい。
私の親族に学者がいたが、学者として認められるためには28歳ごろまでに相当の業績を残さなければ駄目だと言っていた。
初代若乃花も、28歳までに横綱になってしまわないと、その後では難しいと言っていたような気がする。
職人についても同じことが言えそうなので、パティシエの方が言っておられることは、彼等の世界では多分正しいのだろう。
だが、皆が皆、学者や相撲取りや職人になるわけでもないだろう。

それに、9割近い人が、もう将来を決めているというのは本当なのだろうか。大部分の若い人が、自分が将来職業としてやり続けていくことを具体的に認識し決めているということであれば、それはそれで結構な事だが、少し出来過ぎのような気もするがどうなのか。


私がその年代だった頃、
つまり50年ぐらい前のことだが、『いまはまだ人生を語らず』という唄があったぐらいで、そもそも若い者が人生について語るなどということは、自分の知識・経験の浅さを自覚しない恥ずかしいことである、と考える人が少なくなかった。
それに、将来を具体的に決めている人など1割ぐらいだった、と思う。
そういう要因もあって、私は自分探しに手間取ってしまったと思うが、そのことで後悔はしていない。
だから、「早く決めれば得られる人生の成功なんてあるのか」と思う。


もう少し詳しく言えば、
16歳頃から自分の道を探し続けたが、これだと思うものを見つけられたのは還暦から数年経ってからだった。私がみつけたものは、社会的地位も収入も名誉も伴わない「人生の成功」とはとても言えそうもない、自分のためだけの生き甲斐のようなものである。
だが、長い年月をかけて私はやっとそれを掴んだ。そんなものは、何の価値もないと考える人がいても別に私は構わない。

ただ、正直なところ、それを掴むまでの過程で、気にしない訳にいかない事態が生じてしまった。

ひとつは、そこに至るまでの長い年月の間、中途半端な気持ちで生きてきたために、家族を含め周囲の人々に甚大な迷惑をかけてしまったという面は否定できないこと。もうひとつは、あたりまえのことだが、私自身が随分歳を取ってしまったということだ。ということは、私の場合その生き甲斐を掴むためには、「とにかく、生き延びること」が必要だったということでもある。


そんな私が、心無い人々からは「転び者」と蔑(さげす)まれてきたけれど実は大航海時代を代表すると考えられる人物をこれからご紹介したい。


ポルトガル人であるこの人がイエズス会に入ったのは、16歳の時のことだから、四百年以上前のことだけれど、将来を決めるのは充分早かったことになる。二年後には、順調に大学での勉強を始め、その二年後、20歳のときにインド派遣の望みをかなえてリスボンを船出した。若年でインド布教を志願しそれが叶えられたということは、彼が如何に将来を嘱望された人材であったかを示していると考えられる。


その後、彼はインド、マカオで順調に勉強を続け、1609年に来日する。ちょうど彼の来日の時期を境として、日本のキリシタン教会を取り巻く環境は坂道を転げるように厳しさを増していくが、彼自身は日本イエズス会の幹部としての道を順調に歩み続けているように見えた。1617年、37歳で管区長秘書を務めていたときに、最高の職階である盛式四誓願司祭という資格を与えられる。将来の管区長や修院長などの要職に就けることを約束されたようなものである。


一面で、「早く将来を決めた彼が、人生に成功を収めつつある」ように見えたのである。
その彼が、1633年53歳のときに捕えられ拷問を受け棄教する。その時から、彼は成功とも名誉とも無縁の「背教者」としての人生を、日本という異国で過ごさざるを得なくなる。


彼を「哀れな転びバテレンの代表」のように捉えた見方は多い。しかし、棄教時から70歳で亡くなるまでの17年間に、彼が残したと言われているものは少なくない。

当然のことだが、その時期の彼には、模範とできるような先人の生き方のようなものは何もなかった筈だから、その暗闇の中を彼は手探りで必死に生き方を求めたのではないだろうかそしてまた、そうせざるを得なかったゆえに、誰からも礼賛されることはなかったけれど,本当に自分らしい人生を掴むことができたのではないか、と私は思うようになっている。


彼クリストヴァン・フェレイラが管区長マテオ・デ・コ-ロスの秘書を務めていた最後の頃、1621年3月18日付で総会長宛てに送った書簡があり、その書簡から彼がその頃どんなことを考えていたのかを窺い知ることができる。次回はその書簡の内容を説明したい。


〈つづく〉


[参考文献]
キリシタン研究 第二十六輯 「クリストヴァン・フェレイラの研究」Hubert Cieslik S.J.







[PR]
Commented by taijunkotaki at 2016-03-18 09:24 x
お久し振りです。
やっと住むところが決まり、メールする気になりました。

私も人生に迷い続けて生きてきた一人として
今回興味深く読み始めています。

これから時々遊びに来ます。
取りあえずご挨拶まで。
Commented by GFauree at 2016-03-19 03:42
taijunkotaki様 コメント有難うございます。メ-ル・アドレスの方に返信させて頂きました。今後とも宜しくお願い致します。
by GFauree | 2016-02-27 13:59 | クリストヴァン・フェレイラ | Comments(2)

南米ペル-の首都リマに暮らす団塊世代男が、「大航海時代」とそれ以降に展開された歴史について、思うところを綴っています。カテゴリ-の欄に、過去の記事を、テ-マや人物ごとに分類しています。ご自分の興味のあるカテゴリ-を選んで読んで頂ければ幸いです。