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キリシタン活動の性格と展開を決定付けたもの [その2]

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(写真撮影 三上信一氏)






前々回[その1]の記事で、キリシタン活動の性格や展開を決定付けた要因として、日本人聖職者の登用が制限されていたことを挙げました。日本人を修道士や司祭などの聖職者としないために、イエズス会への入会は極力制限する方針があったということです。

この「日本人のイエズス会への入会制限」については、「ペトロ・岐部・カスイ」に関する記事(http://iwahanjiro.exblog.jp/21105197/)や、「背教者クリストヴァン・フェレイラ」に関する記事(http://iwahanjiro.exblog.jp/22575045/)の中で言及し、
イエズス会の布教長フランシスコ・カブラルや通辞ジョアン・ロドリゲスの見解を一部ご紹介しました。

そこで、今回と次回はこの二人のポルトガル人宣教師が主張した「イエズス会への日本人入会阻止」について気付いたことを述べてみたいと思います。


〈フランシスコ・カブラルの見解〉



まず、布教長フランシスコ・カブラルの見解ですが、それは1596年ゴア(インド)に於いてイエズス会総会長補佐宛てに書かれた書簡に見ることができます。その書簡は、大航海時代叢書(岩波書店)「イエズス会と日本(一)」にその日本語訳が収められていますので、カブラルの意図したところを的確に理解するためには、できればその全文を読んで頂くことをお勧めします。

ただ、この書簡の主旨は単に「日本人のイエズス会入会に反対すること」ではなく、「巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノが、マカオにおける原住民聖職者養成のための大規模なコレジオ(神学校)建設を、公認されていないという意味で不正な商業活動を行うまでして進めようとしているが、それは無意味なものである」として批判することでした。

ヴァリニャ-ノが進めた公認されていない不正な商業活動としては、ペル-からマカオへの銀積載船のもたらした“かねの処理”にヴァリニャ-ノが関わったとされる件もカブラルは挙げています。

ヴァリニャ-ノが関わったとされるペル-からマカオへの銀積載船については、下記の記事でも採り上げましたのでご参照ください。

http://iwahanjiro.exblog.jp/20646027/
http://iwahanjiro.exblog.jp/22303145/


〈カブラルという人物〉


カブラルは、1570年から1581年まで日本の布教長の職にありましたが、巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノと布教方針を巡って対立し、日本布教長職を解任されマカオに送られました。その後、1592年から1597年までインド・ゴアでインド管区長を勤めています。

そこで、若干腑に落ちないのは、カブラルは東インド地域全般を統括・管理する立場であった巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノと対立し日本布教長職(当時、日本はまだインド管区に属する布教区に過ぎなかった)を解任されたにも拘わらず、インドへ戻り日本布教長より上級職であったはずのインド管区長職に就いていることです。

この時代のイエズス会は軍隊にも似た上意下達の厳しい統制の敷かれた組織であったと言われていますが、実際はそれが徹底されない場合も多々あったということかも知れません。

また、宣教師間で各々の出身国を巡って確執があったという話もあります。カブラルが日本を含むインド管区の主流であったポルトガル人であったのに対し、ヴァリニャ-ノはイタリア人であったことも関係しているかも知れません。



さて、書簡の内容ですが日本語訳でも25ペ-ジにわたる長大なものですので、ここでは日本人の入会に反対する根拠として書簡の中で挙げられている事項に限って以下に抜粋することにしました。


〈書簡の内容抜粋〉



~日本人を入会させることをやめないと(すでに7,80人受け入れてしまったので、いささか手おくれであるが)、イエズス会ばかりか、キリスト教界までが、日本で破滅してしまうに相違ない。

~私がこれを言うには、それだけの根拠があってのことだということを、尊師に理解してもらうために、以下いくつかの理由を挙げてみたい。~

第一に、私は日本人ほど傲慢・貪欲・無節操、かつ欺瞞にみちた国民を見たことがない。というのは、百姓でも内心王たらんと思わない者は一人もおらず、機会あり次第そうなろうとする。これは日本で毎日はっきり認められることである。~

第二に、この傲慢・貪欲・野心および欺瞞が仏僧たちをも支配しているので、彼らは、そうするよりほか生きるすべがない場合以外は、共同と服従の生活をすることに耐えられず、生活の道が立ちさえすれば、直ちにみずからが人の上に立とうとする。~

第三は、日本人たちは、自分の心中をさらけ出したり、他人に覚らせたりしないことを、名誉で思慮深いことだと考えている。彼らは子供の時から、このように欺瞞と偽りに充ちた人間になるよう育てられている。~

~パ-ドレ・アレッサンドレは、これまでイエズス会に日本人を受け入れることに情熱を燃やしてきているが、日本でこのようにしてやってゆき、日本人がエウロパ人より大勢になろうものなら、彼らだけで結束するかも知れない。彼らは、上に述べたような性格・資質を持っているので、深刻な分離や分裂が生じたり、あるいはわれわれが追放されて、彼ら自身が支配者となったりする危険が非常に大きい。というのは、彼らには、もしもそれを望むなら、為しうるだけの天性と、そのための手段がそなわっているからである。


〈カブラルの見解について思うこと〉


カブラルが、日本人を入会させるべきでない根拠として挙げた事項ですが、その一については、戦国時代の下剋上の風潮を指しているものと思われ、確かにそういう傾向はあったかも知れません。けれども、二と三については、何処の国の組織や個人についても場合によってはあり得るはずのことです。従って、それを日本に固有のこととしていること自体見識不足ですから、その意見は取るに足らないもののように思います。

それより、私の目を引いたことは、日本人を入会させることは、日本でのイエズス会やキリスト教会を破滅に導くと書いていることです。


〈カブラルの抱いていた恐怖〉


彼は、日本人が大勢入会しヨ-ロッパ人より多くなると、日本人だけで結束することや分離や分裂が発生し、日本人に支配されヨ-ロッパ人は追放される、と大真面目で心配していたようです。

そこで思い出したのは、大航海時代のコロンブス以来の征服者たちが、先住民に対して底知れない恐怖感を抱いていたと伝えられていることです。

海外布教が、教会と国王権力による「教俗一体」体制で進められた征服事業の一環であるという意識をもしカブラルが持っていたとすれば、彼もまた布教地(征服地)日本の先住民(国民)に対し底知れない恐怖を抱いていたとしても不思議ではありません。


〈日本人に対する批判はカブラルの必至の生き残り策でもあった〉


カブラルの日本人に対する批判的な姿勢によく対比されるのは、ザビエルやヴァリニャ-ノの日本人に対する好意的な評価です。その点については、「背教者クリストヴァン・フェレイラ」に関する記事の中で言及しました。(http://iwahanjiro.exblog.jp/22692161/

海外布教地は新規に開拓すべき市場であり、宣教師と信者の関係は営業マンと顧客の関係に似ています。ザビエルやヴァリニャ-ノは、優秀な営業マンでしたから、顧客の扱い方のみならず、顧客についての本部への報告の仕方や自分に対する評価の得方も充分熟知していたのでしょう。自分の顧客が如何に良質で、担当地域が如何に将来性があるかを予め本部に知らしめておいて成果を上げて見せたのです。優れた宣教師(営業マン)として高い評価を得ないわけがありません。

一方カブラルは、日本人の部下の育成に失敗し、反抗され、離脱した者の中には分派を作ろうとする者まで現れ、バリニャ-ノによって布教長職を解任された人物です。彼には日本人へ好意的評価を与える余裕などなかったばかりか、自分の失地回復のために、なりふり構わず必死の日本人批判を繰り広げるしかなかったという面もあったのでしょう。


〈しかし、カブラルの作戦は成功した〉


「17世紀キリシタン布教も後期に入る頃、ローマのイエズス会本部は急速に日本人に対する評価を下げ、その入会と叙品(司祭の資格を与えること)についての審査をそれまで以上に厳格にして、門を狭めた。」(キリシタンの世紀 高瀬弘一郎著 岩波書店)

カブラルの様な考えを持つヨ-ロッパ人宣教師は少なくなかったようですから、彼の意見具申のみによって、本部がこのような方針を採るに至った訳でないであろうことは言うまでもありません。

しかし、その後の流れを観ると、カブラルがザビエルやヴァリニャ-ノのような教会勢力拡大の実績によってではなく、在日イエズス会・キリシタン教会の日本人による乗っ取りの危険を本部に知らしめるという方法で自己の存在をアピ-ルすることに成功したとは考えられるようです。

世の中の如何なる組織においても、その主たる活動の拡大・発展に寄与することは最も高く評価される要因となり得るでしょうが、組織の存亡に関わる危機を未然に防ぐこともそれに劣らず重要であることは確かです。

そういう意味で、彼の属していた組織は、実に現世的・人間的な組織だったとも言えるのではないかと私は思います。


次回は、もう一人のポルトガル人宣教師ジョアン・ロドリゲスの日本人批判について書かせて頂こうと思っています。


〈つづく〉















by GFauree | 2016-07-22 13:18 | フランシスコ・カブラル | Comments(0)  

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