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日本語個人教授のその後

                                    
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                                        (写真撮影 三上信一氏)



私が日本語を教えるようになってから、もう5年が経った。
ある国立大学の経済学部にアジア諸国研究のグル-プがあって、そのグル-プの学生たちが主催する日本語講座をやらせてもらったのがきっかけだった。講座は週1回(4時間)で6か月間、と言っても大学のストライキなどもあったから20回ほどである。


物珍しさで生徒が集まった


この国に暮らす日本人は、たいてい官公庁・大企業の駐在員か、考古学研究者か、ジャ-ナリストか、若い頃から当地で仕事をしてきた方である。私のように、定年まで日本で働いていたような者はまず居ない。

ずっとサラリ-マンをやっていた普通の日本人から日本語を、それも無料で教えて貰える機会というのが珍しかったからだろう。学生グル-プがfacebookで募集すると150人以上の応募があり、それを40人に絞って貰った。自分がやる以上、6か月間の最後には出席者はほとんどいない、なんていうことになって欲しくなかったからだ。


「日本語を教えてくれ」というのは、「友達になりたい」ということ


この国に来て意外だったのは、よく日本語を教えて欲しいと 言われることだった。ところが、こっちがその気になってもなかなか具体的にならない、始めてもすぐにやめられてしまうのがほとんどである。そのうち、「日本語を教えてくれ」というのは「日本人であるあなたと友達になりたい」という意味の挨拶代わりの言葉だということが分かってきた。

そもそも、私自身、日本語教育を正式に勉強したこともないのだから、それを教えるなどということはおこがましい。それに、変に期待させ責任を負わされるのも嫌だったから、そういう話は断っていた。が、その日本語講座の話は期間限定で責任もなさそうだし、アジアに興味を持っている学生たちというのが面白そうなので引き受けた。

講座の方は結果として、約半分の生徒は最後まで残ってくれたので、私としてはそれで充分だった。初歩的な事しか教えられなかったが、私にとっては、学生たちを通してこの国の一面に触れることのできる新鮮で楽しい経験だった。



ここから先は、今はもう教えていない二人の生徒Aさん、Bさんのことをお話ししようと思う。二人とも上に述べた講座の参加者であり、女子であり、日系人ではない。



Aさんのこと


Aさんは、大学での講座に参加していたある日、思いつめたような表情(後で分ったことだが、この人は緊張するとそういう表情になる)で、その講座以外にも教えて欲しいと言ってきた。彼女が予習をしてきて、教えたことは完全に覚えていて、答えられるような生徒だということは感付いていたから、講座の内容にあき足らないのだなと私は思った。

彼女はその時点でもう読み書きもかなりできていた。彼女が幼い頃、ペル-人男性と結婚した若い日本人女性が家の近くに住んでいて、近所の子供たちを集めてボランティアで日本語を教えてくれたのだそうだ。その先生は、予習・復習とかを含めて勉強の仕方もきっちり教えたらしい。そういう教え方をしたという先生にも、またその教えを身につけた彼女にも私は感動した。先生と彼女の努力が無駄にならないようにしなければと思って、講座以外に教えることにした。

講座が終わった後も、彼女は大学での専門を生かした勤めをしながら、3年間私の家に通って来て日本語の勉強を続けた。一年前日本に行き、高校時代から付き合っていた日系人の男性と結婚して、日本に住んでいる。よほど以前から、それを決めていたのだろう。だから、日本語学習もあんなに一生懸命だったのだろう。そう言えば、日本語能力試験の準備としてやらせたテストの結果に悔しがって泣き出して、私を慌てさせたことがある。

Aさんは、時々私とか妻に連絡をくれる。引っ越しをしたとか、正社員になったとか、日本語の勉強をまた始めたとかである。私も妻も彼女に日本で幸せになってもらいたいと思っている。だから、少し心配になることもあるし、連絡を貰うととても嬉しい。


Bさんのこと


Bさんは、大学の日本語講座を主催したグル-プの幹事で運営責任者の一人だった。冒頭に書いたように大学のストライキで講座が急に潰れることもあって、運営責任者の学生に頼らねばならないこともあったのだが、いざとなると「そんなこと、私は知らない」などと平然と答える責任者もいた。(そういうことは、この国では普通なのだが)そんな中で、彼女はいつも最後まで責任を果たしてくれた文字通り有難い(つまり、なかなかいない)存在だった。

だから、講座が終わって何か月か経ってから、また日本語を習いたいと言って来た時は私も妻も喜んだ。というのは、講座を終始手伝っていてくれた妻も、Bさんの責任感のある態度に感心していたからだ。そしてBさんも、3年間、週2回私の家に通ってきた。

時間に遅れてはいけないし、早く来ては迷惑だと思ったのか、いつも少し早く来てアパ-トの建物の前で待っていて時間通りに現われたのも彼女である。質問されて、私が明確に答えられないときに彼女は「これが試験に出たらどうするのですか」と言って怒った。

よく予習をしているからなのか、注意深いのか、習った表現の例文をつくるのがうまい。すぐに、上手な例文を作って笑わせる。例えば、「~は、まだまだです」という表現の例文を作れと言ったら、すぐに「あなたのスペイン語は、まだまだですね。」と返された。

私に日本語を習っていた間も、より良い条件の仕事を狙って何度か転職し、経済関係の官庁に勤めるようになってからは、さすがに日本語を習っている時間も体力もなくなって、習いに来ることも出来なくなった。聞いていると、その官庁勤めはかなりハ-ドである。

それでも、時々挨拶代わりに連絡してくる。そして、妻と私に食事を奢ってくれる。それは、言いようもなく嬉しい。
就職した子供に奢ってもらう親はこんな気持ちなのかとも思う。


私が学んだこと


Aさんも、Bさんも本当によく勉強してくれた。そして、今でも何かと連絡をくれる。
そういう経験を通して、私も色々と学ばせてもらった。
そのひとつに、若い人に何かを教えると、教えた事柄だけでなく相手のその後が気になり、心配になるということがある。
だから、どんなことでも時々連絡してくれると、それだけで嬉しくなるのだ。

そこで、私は自分の小学校・中学校時代の先生たちも同じように考えていたのかも知れないということに気が付いた。それなのに、私はつい最近までそのことに全く思い及ばず、先生たちには失礼のし通しだった。そのことが今更ながら悔やまれる。全く、後悔の種は尽きない。

今教えている生徒は二人だけだ。その二人については、またの機会にお話したい。


〈おわり〉














                                                    

by GFauree | 2017-02-26 14:25 | 日本語個人教授 | Comments(2)  

Commented by taijun kotaki at 2017-04-06 03:54 x
ご無沙汰しています。まず。蠟梅、いい写真ですね。山陰では毎年、こういう感じなのですね。思い出します
確かに、恩師にその後連絡するという事は、私も全くありませんね、随分お世話になった方なのですが・・・
なかなか素直になれなかったですね
それにしても、好い生徒さんたちですね
Commented by GFauree at 2017-04-06 12:40
Taijun様
コメント有難うございます。
この写真は、昔の勤務先の同僚だった方(退職してからお知り合いになったのですが)が、facebookに貼られているのを掲載させて頂きました。静かな感じが伝わって来るようで気に入っています。昔の先生たちへの自分の態度ですが、私も全く素直じゃなかったと後悔しています。そういうことをちゃんと出来る人たちがいることを、自分の生徒たちから教えられました。それに、彼女たちの学ぶことへの努力を考えたら、私の若い時の勉強など全然甘かったなと思います。
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