【大航海時代のおと】

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カテゴリ:大航海時代( 2 )

モノワスレの効用

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                                         (写真撮影 三上信一氏)


物忘れ防止のために

ブログを書き始めて、もうすぐ2年になります。
50歳頃から興味を持つようになった歴史に関して、本で読んだことや感じたり考えたりしたことを忘れないように書き留めて置こうと思ったのがきっかけでした。実は、この数年物忘れを自覚することが増えてきて、それを少しでも防止したい気持ちもありました。

ですから、最初は自分が書いたものを誰かに読んでもらうことなどはあまり考えず、自分があとで読むために、知識や思考を整理し記録するつもりで書いていたのです。ちょうど、自分で観賞するために、家の庭で花を植え育てているような感じでした。


でも、読んで頂くと嬉しい

ところが、時間が経つにつれて、どなたかが読んで下さったことが分ることが何度かあって、それが嬉しくもありまた自分にとって励みにもなることを知りました。

どなたかに読んで頂いたことが分る方法はいくつかあります。


読んで頂いたのを知る方法

ひとつは、読んだ記事に直接コメントを頂くことです。コメントを頂いたことが分った瞬間は、書いていることが間違っているとか、分りにくいとかのお叱りではないかと不安になります。実際にそういうことが何度かありました。けれども、とにかく自分の書いたものに反応して頂くということは、製作者としてはそれだけで嬉しいものです。

もうひとつは、ご自分のブログや何かの媒体で、私のブログ記事について言及して頂くことです。去年に一度、今年も一度そういうことがありました。

去年の経験については、記事に書きました。(http://iwahanjiro.exblog.jp/21857515/
今年のは、「図書新聞」に投稿された「NAGASAKI夢の王国」という小説に対する批評の中で、私のブログ記事のタイトルに触れて下さったのを偶々知ったのです。(http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/dokusya_display.php?toukouno=415)その記事のタイトルは、なぜ私がその人物に惹かれたのかが明示できるように考えたつもりのものでしたので、それを汲み取って頂いたことが感じられて私としてはとても嬉しい思いをしました。


読んで頂いたことを知るための、あとひとつの方法は、毎日表示される記事別のアクセス数です。その記事別アクセス数を見ていて、最近時に投稿した記事へのアクセス数が多いのは当然に思えるのですが、投稿してから半年以上、一年以上経ってからも相当数アクセスして頂いている記事があることに、ある時気が付いたのです。それは、例えば以下の人物に関する記事です。

背教者クリストヴァン・フェレイラ(http://iwahanjiro.exblog.jp/i15/
少年使節千々石ミゲル(http://iwahanjiro.exblog.jp/i11/
長崎代官村山等安(http://iwahanjiro.exblog.jp/i6/
殉教者ペトロ・カスイ・岐部(http://iwahanjiro.exblog.jp/i8/

これらの記事について共通して言えることは、私として特に強く言いたかったことがあることです。

・フェレイラについては、彼を棄教に追い込んだ日本の社会が、「転びバテレン」などと呼んで彼を蔑(さげす)んだのはおかしいのではないかということ。(遠藤周作でさえそういう見方を脱却していなかったように私には見えます。)
・千々石ミゲルの離脱は、巡察師ヴァリニャ-ノの指図で捏造された「遣欧使節記」と関係があるのではないか、ということ。
・村山等安こそ、日本のカトリック社会の成熟を示す人物だと考えるべきではないかということ。
・岐部の不屈の信念の源は、彼の周囲の人々の共感と支持だったのでは、等々。


こういうことを通して、私は二つのことを願い信ずるようになりました。
それは、自分がこれを言いたいと強く思って書いた文章は、きっとどなたかが読んでその気持ちを汲み取って下さるということ、また、そういう読み方をして頂くためには、なぜか少なくとも半年から1年以上待つことが必要だ、ということです。


この考え方にはなかなかの利点
があります。それは、きっとどなたかが自分の主旨を汲み取って下さると思えばより真剣に記事を書く気になれます。そして、そういう読み方をして頂くためには半年から1年以上必要だとすれば、当面その記事に反響が得られなくても落胆することは、ありません。

そのうえ、半年から1年以上経てば、記事を書いた時の気持ちの高揚などは自分でも忘れていますので、もう期待することもありませんから、たとえ放置されても精神衛生が保てるのです。「モノワスレ」もまんざら捨てたものでもないということです。


次回は、これからやっていこう考えていることについて、書いておきたいと思っています。















                                                  

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by GFauree | 2016-10-15 09:20 | 大航海時代 | Comments(0)

インカ帝国滅亡は日本のキリシタン時代の少し前

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ペル-の征服者フランシスコ・ピサロがリマ市を建設したのは1535年です。その14年後の1549年宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に到着しました。その時から鎖国が完成したといわれる1639年までの90年間が日本のキリシタン時代だと考えられます。それは、信長・秀吉・家康による「天下統一から徳川幕府成立の時期」とほぼ重なります。

と書いきて、そんなこと当たり前じゃないかと怒られそうな気もしますが、
若いころ歴史というものを全く身近に 感じられなかった私がそれに気が付いたのは、60歳を過ぎてこちらへ来てからです。

私はもともとカトリック信者の家庭に育ったのですが、
「キリシタン」について特に興味をもつことはなく、それに関する本を読んだこともなかったのです。「キリシタン」というと、どうも聖人や美化された殉教の話ばかりで面白くないしあまり意味もないような感じがしていたのです。

ところが50歳の頃、この時代のひとりの日本人司祭について知りたいと思うようになり、この時代の歴史に関する本を読み始めました。そうして、わかったことは1970年代の半ば頃からこの時代に関する研究が大きく変わっていたということです。その変化をもたらしたのは、高瀬弘一郎氏の諸論文であり「キリシタン時代の研究」他の著書ではないかと思います。

その研究の成果によって、キリシタン時代の布教の主力であったイエズス会やその他の修道会が経済面を含めて本当はどのような活動を展開していたのか、時の最高権力者や統一政権にどのような働きかけをしたのか、また統一政権側はその働きかけにどのように対応しようとしたのかを知ることができます。それは、400年以上前のこととは思えないほど生々しく興味深いものです。

また、もっと卑近な事柄について言えば、イエズス会士との接触の中でよく言われる信長の進取の気性がどんなものであったかを知ることができますし、豊臣方との決戦「大阪冬の陣」の直前までキリスト教許容の可能性を探るなど、家康が如何に慎重に外交政策を検討していたかを知ることもできます。

秀吉については日本人奴隷輸出問題でイエズス会の責任を追及するなど、この時代の修道会の性格を見抜いた上で外交を展開しようとしている点はよくある秀吉に不利な評価を見直しさせるものだと思われます。

その時代の日本側の代表的人物である信長・秀吉・家康は日本史の中でも最も人気のある人たちですから面白いのは当たりまえかも知れません。でも面白いのはこういう日本の最高権力者たちばかりではありません。
宣教師たちもひとりひとり個性が強く性格的な欠陥もあるけれど魅力的な人物が多かったように思います。私が特に面白いと思っている人物についてこれから折に触れて書いていきたいと思います。

またこの時代には、スペイン・ポルトガル両国が国家事業として世界展開を進めていたという側面があります。その結果として考えられることですが、たとえば「この時代のリマに日本人が20人いた」とか「ペル-から日本へ行き秀吉と面会した人物がいた」という記録もあります。
これらについても、書いてみたいと考えています。

ペル-というと、すぐインカ以前の時代の考古学的研究が話題にされますが、私はスペインによる征服以降の歴史により興味を感じます。そして、その植民地時代初期と同時代である、日本の「キリシタン時代」についても、これからもっと知識を深めていきたいと思っているのです。










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by GFauree | 2014-12-08 13:25 | 大航海時代 | Comments(5)