【大航海時代のおと】

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カテゴリ:鼻のない男の話( 3 )

「鼻のない男の話」 [その3]

 
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                                  (写真撮影 三上信一氏)



前々回[その1]ではこの小説のあらすじを、前回[その2]ではこの小説を読みながら考えたことを書いたが、今回はこの小説を通じて作者は何を言いたかったのかについて、考えてみた。


この物語は、人生の岐路において目先の栄達や感情に引きずられ、愚かな選択を重ねたあげく、苛酷な運命に弄(もてあ)ばれてしまった男の悲劇とでも呼ぶべきものでは、と最初私は思った。しかし、色々考えているうちに、もっと違う意味があるのではと思うようになってきたので、それをお話しよう。


1.人生の選択


(1)主人公フェルナノ・ロペスは、学校では良く出来た神経質で知的な青年だった。その彼が、親友ジュアノ・Dの従妹ロ-ザを彼から奪う。フェルナノの無理は、もうそこから始まっていた(ような気が私にはする)。

ところが、恋人を奪われた失意の末遠征隊に加わり成功者として戻って来たジュアノが持ち帰った財宝、そしてそれによって彼を見直す人々、更には彼がロ-ザに贈った頸飾りが、フェルナノを平静ではいられなくした。

性格が向いていないとして心配する妻ロ-ザの反対を押し切って、フェルナノはインドへの遠征隊に加わる。結果から見ると、ロ-ザの見方は当たっていたようだ。


(2)フェルナノは、ゴアの大虐殺の夜、一人の舞妓を見逃す。その後、現地人の男によってその舞妓アイシャと引き合わされ、フェルナノは我を忘れた。リスボンを出てから5年間、海と戦闘と血と掠奪しか見て来なかった彼には、たとえそうすることの危険を感じたとしても自分を抑えることはできなかっただろう。フェルナノの心は、キリスト教からも故国ポルトガルからも次第に離れて行き、やがて彼は叛乱軍に加わることになる。


(3)マラッカ攻略から戻ったポルトガル副王ダブルケルケは、フェルナノを含む叛乱軍の棄教者たちに対し「右手首と左拇指を切り落とし両耳と鼻を削ぐ」刑罰を与えた。刑の執行後、棄教者たちは見せしめのためポルトガルに送られたが、フェルナノはその恥辱を免れゴアに残された。

2年後アイシャが病気になると、フェルナノは乞食の身となり土民から蔑(さげす)まれたが、半年後アイシャが一時的に回復するとまた彼女に庇護された。しかし、その年の末アイシャは死に、ロペスはまた自活しなければならなくなる。彼が頼み込んでポルトガル行の船に乗せて貰ったのは、その翌年の秋のことである。


2.後悔の念


作者きだみのる は、自選集のあとがきの中で「自分のことを語るのは、いつもつらいことだ。自己は厭うべく憎むべき存在だ。」と述べている。何故か物語の中ではあまり触れられていないが、強い後悔の念が主人公フェルナノを苦しめ続けたはずだ、と私は思う。

まず、回教徒に対する襲撃・掠奪・破壊の繰り返しの日々の中で、ポルトガルを出たときには予想すらしていなかった危険な環境に置かれてしまったことを後悔したことがあったかも知れない。しかし、何と言っても強烈な後悔の念に苛(さいな)まれるようになったのは、棄教した叛乱軍の一味として処罰され、それも酷(むご)い刑罰によって不自由な身となり、それまで自分より下に見ていた土民からすら、蔑(さげす)まれるようになってからではないか。


フェルナノは何を後悔したのだろうか。

なぜ、叛乱軍に加わってしまったのか。なぜ、棄教してしまったのか。なぜ、アイシャに対する熱情の虜(とりこ)になってしまったのか。なぜ、大虐殺の夜、アイシャを見逃したのか。そして、なぜ、インド遠征隊に加わったのか。なぜ、ジュアノが持ち帰った財宝に目を眩(くら)ませてしまったのか。なぜ、親友だったジュアノからロ-ザを奪ってしまったのか。

人にとって、人生の節目のたびに自分がしてきた選択の全てが、後悔の種になり得る。だから、後悔の種は、誰もが心の中に抱えていて、心が弱ってくると容赦なく自分を痛めつけかねないもののようだ。そして、後悔の念ほど、激しく人の心を傷つけるものはないのではないだろうか。


ただ、フェルナノの場合、それほど後悔の念に苛(さいな)まれながら、妻ローザ、舞妓アイシャ、娘アンジェリカへの思いだけは変わることがなかったようだ。後悔だらけの人生ではあったけれど、彼女らが自分に与えてくれたものだけは、無にしたくなかったということだろうか。それとも、生き延びるためには、自分を大切に思ってくれた彼女たちの面影にすがる他なかったというだけのことなのか。


3.人間への恐れ


ポルトガル行の船に頼み込み乗せて貰ったフェルナノは、またもや決定的な後悔を味わう。

同船者の示す軽蔑や彼を眺める視線や彼を避けたり憐れんだりする態度が、自分の行先に絶望を感じさせた。彼の知らない人々である同船者さえ、かれをそのように扱う。ポルトガルに戻れば、自分を既に知っている人々の社会に背教者、裏切者として組み込まれなければならないのである。

フェルナノは人間の残酷さを思い、「どんな猛獣より人間は猛獣だ。」と嘆息した。しかし、彼はその人間の残酷さを既に自分の中に見出していた筈である、と私は思う。

この小説は僅か30数ペ-ジの短編であるが、そのうち4~5ペ-ジを割いてポルトガルの遠征隊の行状が描かれている。回教徒に対する残忍な襲撃・掠奪・破壊の反復である。なぜ作者はそれをそれほど詳しく語ったのだろうか。

その疑問を考えているとき、その描写はポルトガルの遠征隊自体が「猛獣の集団」であったことを示していることに私は思い当たった。ということは、遠征隊を派遣し襲撃・掠奪・破壊による収益を吸い上げていたポルトガル国家も「猛獣の集団」であったことになる。作者がそこまで考えていたかどうかは分らないが、そう考えれば祖国の社会に対するフェルナノの絶望感はいよいよ救いがたいものであったことになる。


4.無人島で独りになったときに始まった、彼の本当の人生


無人島に仮泊した船から逃れ独りになったとき、フェルナノは完全に自由を感じ、烈しい空腹を覚えた。-鼻かけ男の大宴会-である。それから、食糧と住居を確保し、平和で静かな日々を着々と築いていった。

10年経った頃、島に着いた船から逃げ出した奴隷を3カ月で追い払うと、また孤独と平和が戻って来た。島に来る船員たちと接触することによって、人に対する異常な恐怖も失くなっていった。


5.棄教の罪


更に10年の月日が流れ、彼は死を意識するようになり、棄教の罪を気にかけるようになった。恐らくは、人間に対する恐怖が消え静かな生活を送る中で、自分に与えられた運命を全うすることこそ、自分に課せられた使命であると考えるようになったのではないか。そして、その使命を自分に与えた神を裏切った罪に対する呵責の念がふくらんできて、許しを得たいと思うようになったのではないか、と私は考える。

ロ-マへ行き法王から許しを得たのち、また無人島へ戻り、さらに10年余を生きることが出来た。


6.作者は何が言いたかったか


よく若い頃のことを思い出して懐かしがる人がいるが、私はそんな人を羨ましい気持ちで眺めて来た。実は、私にとっては、若い頃どころか中年・壮年と言われる時期を思い出すことすら恐ろしい。

今考えると、学校を終えて働き始めたころは、人間についても、社会についても、仕事についても、まるで分かっていなかった。そんな肝心なことが分からずに働いているのだから、目先の損得や功名心にかられて、いつも欲の皮を突っ張らせるしかなかったのである。

しかも、自分の性格や能力を考えて欲求を抑えるという賢明さも持ち合わせていなかったのだから、ほとんど薄氷を踏むような危なっかしい日々を送っていたことになる。そして、それを中年・壮年期まで続けてしまった。だから、そんな自分を思い出すのは、恐ろしいことなのだ。ただ、最近知ったことは以前の自分を思い出したくないと考えている人は、決して少なくないらしいということである。

私は、作者の「自己は厭うべく憎むべき存在だ。」という言葉をそういう風に受け留めている。そして、人生は生きれば生きるほど過ちを犯しかねない危ういものではあることは間違いないと思う。ただ、そうではあるけれど、それを生き切ることに救いもあり得るのではと考えるし、作者もそう言いたかったのではと思うのである。


7.主人公と作者の最期


主人公の最期について小説では、「1547年の春、仮泊した船の乗員が彼(フェルナノ)が死んでいるのを発見した。」とされているだけである。

作者きだみのるは、この作品を発表した当時、58歳前後でありそれはほぼフェルナノが死んだとされる年齢である。そして、きだは80歳で亡くなっている。きだの最期については、発表された遺作の解説に子息と思われる方の書かれた次のような文章があることを、山口瞳が書いている。

「最後は病院で憧れの女性(であり続けた妻)に手を取られて息をひきとった。顔には満足したような、やさしいほのかな微笑を浮かべていた。」

山口瞳はこれを以て、「フェルナノはきだ自身であり、ローザは彼の妻であり、アイシャは彼と暮らしていた若い女性であり、アンジェリカはその女性との間にできた幼い娘である。」としている。





〈おわり〉



[参考文献]

男性自身 英雄の死   鼻のない男の話 山口 瞳著     新潮文庫    新潮社
きだみのる自選集    第一巻 鼻かけ男の話              読売新聞社
                                          


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by GFauree | 2017-06-18 08:43 | 鼻のない男の話 | Comments(2)

「鼻のない男の話」 [その2]

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                                       (写真撮影 三上信一氏) 




1.作者と小説の効用について



・作者きだみのる について


私が聞いたことがあったのは、せいぜい、型にはまることを嫌い奔放な生活を送った人柄を示すような逸話ぐらいのことだ。パリに留学した後、アテネ・フランセでフランス語とギリシャ語を教えていた経歴なども全く知らなかったし、山口瞳の『男性自身』を読むまでは小説「鼻かけ男のはなし」のことも、勿論知らなかった。


だから、山口瞳の『男性自身』でその小説の粗筋(あらすじ)を読んだときは、何だか儲けものをしたような気になった。


・「大航海時代」に関する本は少ない

と言うのは、「大航海時代」の歴史に興味を持ち始めて、この20年、出来るだけこの時代に関する本を読んできたのだが、私にとって面白そうで、かつ重過ぎなさそうな本というのは、ありそうで実はなかなか無い。そもそも、「大航海時代」に関する本は、著書も著者も驚くほど限られている。


・インタネットの情報は「目次」のようなもの

要するに、読者が殆どいないのだから、仕方がないということなのだろう。以前は、歴史というもの自体に全く関心の無かった私には、実情がよく分る。それで、ある勉強会のような所でその話をしたら、「インタ-ネットがあるじゃないですか」みたいなことをしたり顔で言われて、愕然とした。

そんなことを言う人は、インタ-ネットの「検索」で得られるような知識しか必要としたことがないのだろう。インタ-ネットの「検索」で得られる情報は、概ね本の「目次」のようなものである。「目次」が必要なこともあるが、それは必要な知識の骨と表皮の一部に過ぎず、肝心な知識の中身とは別物である。だから、適当な本を探して手に入れることが、結局必要なのだ。


・だからこそ、“やめられない、とまらない”本探し

それで、この20年間、自分にも面白く読めそうな本を探し続けてきた言って良い。逆に、そんな本を見つけて読むときの楽しさは、おいしい料理に出会ったときと同様、何とも応えられないものがある。そんなこともこの「大航海時代史」に関する読書趣味が“やめられない、とまらない”理由のひとつになっていると思う。



2.この小説のどんなところに興味をそそられたか


ところで、この小説に私が興味をそそられたのは、「発見・征服」を教会と国家が教俗一体の体制で推進した、まさに「大航海時代」のポルトガルの国内外の情勢を背景に、そこに生きた人々の人生が描かれていることであった。そして、さらにそのような小説が、日本の、それも歴史小説とはあまり縁のないような作家によって戦後間もない頃に書かれているということであった。

作者きだみのるは、「『鼻かけ男の話』は、最初イギリスのヨット狂の貴族の自販本でその存在を知り、ほかの地理発見の冒険誌二、三を読んで補いながら書いたものだ。」と、自選集の「あとがき」に書いている。




・何故かあまり明かされていない、ポルトガルによる「発見・征服」の進め方

前回、粗筋(あらすじ)にも書いたが、ポルトガル・スペイン両国は1494年、トルデシリャス条約を締結して、大西洋上の一地点を通る子午線を境界線とし、その東側をポルトガル領、西側をスペイン領とすることを協定した。


(1)スペインの「発見・征服」

その境界線から西側に遠征したスペインは、北米の南部と、ブラジルを除く南米全域そしてフィリピン諸島を征服した。

その征服の仕方は、対象となる地域全体を先住民を含めて植民地支配することを原則とするものであり、先住民に対する支配の仕方は苛烈を極めた。ヨ-ロッパから持ち込まれた疫病が猛威を振るったためとも言われているが、先住民は実際にほとんどが激減または絶滅させられた。


・「黒い伝説」

このスペインによる新大陸征服と植民地支配の記録は、「黒い伝説」と呼ばれ、他国のスペインに対する攻撃のプロパガンダのために、徹底的に利用された。「黒い伝説」は、今では一般的に客観性を欠いた歴史的資料だとされている。しかし、一部事実に基く部分がある以上、全面的に否定できるものでもない。

先住民擁護運動の旗手と目されるバルトロメ・デ・ラス・カサス(スペイン人ドミニコ会士)の著作は、直ちに各国で翻訳・出版され、「黒い伝説」としてスペイン批判の材料として利用された。因みに、日本のキリシタン迫害の歴史を記した、フランス人日本史家レオン・パジェスの『日本切支丹宗門史』(岩波文庫にあり)も、第二次大戦中日本攻撃のための「黒い伝説」として欧米諸国に利用されたと言われている。



(2)ポルトガルの「発見・征服」

一方、ポルトガルの「発見・征服」については、それほど悪く言われてない(ようだ)。「ようだ」と言うのは、それについて日本語で書かれたものが少ないために、そう見えるのかも知れないと考えるからだ。外国語で書かれ、日本語に翻訳されていない本は沢山あるのかも知れない。もしそうだとしても、私には原書を読む能力も体力もないから、そういう本の存在や内容を知る方法は殆どないので、実際の所どうなっているのかは判らないのだが。

私が、ポルトガルについて上に書いたような印象を持った理由として、「ポルトガルは相手国の領土と先住民を植民地支配する考えはなく、ただ『発見・征服』によって交易の拠点を得ようとしただけだ」と、何処かで読んだような気がする。ただし、奴隷が世界的に展開されたポルトガル貿易の主要商品の一つだったというのは、既に“常識”のようである。



歴史小説においては、史実を含め全てを作者が表現のために改変し、創作しても構わないことになっている。従って小説に書いてあることは、何であっても「過去の事実」と考えるべきではない。しかし、良い小説ほど人間や社会に関する洞察力に溢れているから、語られてこなかった「真の史実」を示唆してくれるのではないかという期待が、私にはある。そこで、この小説に書かれた、ポルトガルによる「発見・征服」に関する描写を抜粋してみた。



・この小説からの抜粋と気付くこと


(下記括弧内が小説「鼻かけ男の話」からの抜粋)

一番根本的な目標は、香料貿易を独占的に行っている回教徒をインド洋沿岸から追い払ってポルトガルのためこの貿易を独占・確保することであった。

とすれば、平和的に「発見・征服」を進めたなどということはあり得ないことになる。

この目的達成には、回教徒の商船を襲撃することも、貿易基地や寄港地の回教徒の破壊も、また回教徒に味方してポルトガルの目的を妨げる都市を懲らすことも必要であった。

そのために、海沿いの町を次々に襲撃し、市街を焼き、掠奪し、住民を皆殺しにした。黄金の都市ゴア攻略の際は、先住民の守備兵9千人と回教徒6千人を皆殺しにした。東アジアの交易の中心で富裕な町マラッカ(現在のシンガポ-ル付近)を攻撃し掠奪した、ことも書いてある。


・以上についてさらに私が思うこと


(1)中東からインドにかけての「発見・征服」は、香(辛)料貿易を奪い独占するための、回教徒と彼らを支持する勢力への、襲撃・掠奪・破壊を意味した。
(香辛料貿易を奪い独占するためには、回教徒の殲滅が必要だったということだろう。)

その掠奪等を正当化する役を、「教俗一体」体制の下に教会が引き受けた。教会のお墨付きを得たポルトガル遠征隊は、異教徒の財産・生命をどうしようと構わなかった。その代りにポルトガル人であっても、キリスト教を棄てた者は反逆者ということになったのだろう。

(2)ここで、気付くことは、遠征隊が攻撃し、占領したゴア(インド)もマラッカ(シンガポ-ル付近)も、後にイエズス会が、フランシスコ・ザビエルが、活動拠点とした都市である。

ポルトガルはマラッカ攻略後、マカオ(中国)に拠点を設け、その経路は日本へと伸びて行った。つまり、日本へのキリスト教伝来は、ポルトガルの襲撃・虐殺・掠奪の延長線上にあったというわけだ。

(3)イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノ(イタリア人)は、ザビエルの後継者として日本キリシタン史上最も大いなる活動をした人物とされている(松田毅一)。

彼は1582年12月、フィリピン総督(スペイン人官僚)に送った書簡の中で以下の主旨を述べている。

「シナを征服することは、スペインに益するところ大である。
日本は武力征服を企てても成功の見込はなく、しかも物質的に益するところが少ない。
それ故、シナの武力征服において、日本の軍事力を利用すことを提唱する。」


私は、この書簡の内容から「死の商人」という言葉を連想した。
それは、本来「武器を売る者」つまり「武器を売らんがために、死をもたらす者」という意味だろう。とすれば、ヴァリニャ-ノは「宗教を広めんがために、布教国日本の軍事力を利用した戦いすら提唱した者」ということになる。
これについてもまた、それは「時代の常識」だったと考えるしかないのだろうか。




3.「大航海時代」のポルトガルの国家と人々の実情は、日本の戦後のそれに重なる


山口瞳は、「とにかく、余人は知らず、私はこの小説に痺(しび)れた。当時の国情と、日々の私の気持ちがぴったりとこの小説に合ってしまった。」と書いている。


・日本の戦後

この小説は昭和28年(1953年)文芸雑誌『群像』に発表された。昭和28年と言えば、米国他連合軍との戦争終結から8年後であり、その3年前に勃発した朝鮮戦争が休戦に至った年である。

ちなみに、NHKテレビの本放送(「試験放送ではない」という意味)が開始されたのもこの年である。ついでに言えば、その頃はNHKでも“英雄”力道山のプロレスを実況中継していた。当然、一般家庭に高価なテレビは無かったから、新橋駅前や渋谷駅ハチ公前に設置された受像機を見るために人々が殺到した。そのために、群衆が広場や道路にあふれ都電が不通となったこともあったということだから、如何に多くの人が集まったかが想像できる。

朝鮮戦争による特需が日本経済にもたらした好景気は“神武景気”と呼ばれ、戦後の高度成長の始まりとされている。

日本の軍人・一般人併せて約3百万人の犠牲者を出した戦争が終わってから、わずか8年しか経っていない時期である。都市の多くは、広島・長崎はもとより東京・大阪でも焼野原だらけであったはずである。

ところが、大衆はもう新しい娯楽に飛びついている。そんな中にあって、気の利いた者は、既に新しい時代の潮流に乗ろうとしているかに見えただろう。そうでない者は、ひたすら焦り自分の不甲斐なさを責めていたかも知れない。


・大航海時代」ポルトガル国内の実情

よく、「大航海時代」にヨーロッパ諸国から国外へ流出した人々について、「雄飛した」などと言って勇壮さが強調されることがある。海難事故で彼らのうちの何割かは命を失ったと言われているから、風を動力とする船しか輸送手段の無い当時、海外に出ることは相当に危険であり、確かに勇気の要ることだった。だからこそ、もし国内に留まれるものならば、そうしたかった筈である。端的に言えば、要するに食えないから海外へ出ざるを得なかったということである。

これは、明治以降日本から海外へ移住した人々についても、言えることである。彼らを尊重しようとすることが、逆に彼らの途方もない苦労を見えなくさせている。私は、こちらに来て初めて、その移住した人々がどれ程の辛酸を嘗めねばならなかったを知った。


通辞ジョアン・ロドリゲスの例

さて、当時ポルトガルを出国した人々の実情であるが、そのよい例がイエズス会の通辞ジョアン・ロドリゲスである。

時々、「当時のイエズス会の宣教師は皆、ヨ-ロッパの祖国ではエリ-トだった。」などと、言ったり書いたりする人がいるが、それは大嘘である。当時の日本人には、「彼らが祖国で食えないがために、遥かかなたの日本まで来たのでは」と賢明にも推察した人が少なくなかったことを、宣教師自身が「日本人の猜疑心の強さ」として嘆いているのである。確かに、カトリック教会には宗教改革によって失った教勢を回復するために、海外布教に組織の存在を賭けざるを得ない事情があった。

ロドリゲスは、最高権力者であった秀吉に寵愛され、家康によって見事に失脚させられ国外追放されたことが知られているが、イエズス会の中でも異例の出世を遂げていた。時勢に、権力に迎合することが巧みな者は、教会(修道会)の中でも出世する可能性が高かったのだろう。現在はどうなのかは、教会(修道会)が人間の集団であることから推して知るべしである。

彼は、元々ポルトガル北部の寒村の出身で、10歳になるかならないうちに出国し、日本に渡来したときは、宣教師か商人の使用人だったらしい。自分の生年月日すら、正確には知らなかったと言われている。


要するに、年齢を問わず、食えない故に国外に出ざるを得ない者が多くいたということだろう。また、国外に出たことで成功した者が僅かにいて、帰国した彼らを羨望の目で見る人々が周囲に少なからずいたということは、当然あったのだろう。

そう考えて来ると、山口瞳の言うように、当時のポルトガル国内と終戦直後の日本とに共通したところがあったことは確かなようである。



今回は、この小説のどんな点に興味をそそられたのかを中心に述べて来た。
次回は、この小説を通じて作者は何が言いたかったのか、について考えてみたい。



〈つづく〉




[参考文献]

男性自身 英雄の死   鼻のない男の話 山口 瞳著     新潮文庫    新潮社
きだみのる自選集    第一巻 鼻かけ男の話              読売新聞社
「キリシタン時代の研究 第3章 キリシタン宣教師の軍事計画 高瀬弘一郎著 岩波書店
「ヴァリニャ-ノとキリシタン宗門」    松田毅一著作選集         朝文社
                                               

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by GFauree | 2017-06-02 03:28 | 鼻のない男の話 | Comments(2)

「鼻のない男の話」 [その1]

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                                        (写真撮影 三上信一氏)





山口瞳の『男性自身』から


山口瞳は、「週刊新潮」に『男性自身』と題するコラムを1963年から31年間連載し続けた。その『男性自身』は「男性自身シリ-ズ」として新潮社から刊行されているが、そこからセレクトした作品を収めた作品集が何冊か文庫本になっている。

『男性自身』は週刊誌のコラムだけあって、サントリ-・ウィスキ-の宣伝でよく目にしたことのある漫画的な(独特の味のある)柳原良平の挿絵が添えられていて、一見読み易そうであるが、内容はかなり濃かったり深い含蓄があったりするものが多い。

正直に言うと、山口がそれを執筆した年齢の頃の私には理解できず、最近になってやっと意味が分ったりすることが結構ある。「あれは、こういう意味だったのか」というその感じが私は楽しみで、今でも時々図書館から借りて来て読んでいる。


きだみのる の小説

その文庫本の中の一冊、男性自身 「英雄の死」(新潮文庫)に、「鼻のない男の話」は収められている。これは、きだみのる の小説「鼻かけ男の話」について書かれた一文である。原題「鼻かけ男の話」が「鼻のない男の話」とされているのは、身体的欠陥をあけすけにいうことを避けるという配慮のためだろうと思う。

この小説の梗概(あらすじ)は、山口瞳のコラムの中に書かれているが、その内容をお伝えしなければ話が進まない。かと言って、そこに書いてある梗概を全て丸写しにする訳にもいかない。そこで、拙いことは承知で私なりにあらすじをまとめてみたので、先ずは目を通して頂きたい。一部どうしても丸写しになってしまったことは、ご容赦頂きたい。


「鼻かけ男の話」梗概(あらすじ)

1.時は、15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて、ポルトガルがスペインとの間に世界分割を協定したトルデシリャス条約を結び、アフリカ沿岸経由で東に向かって盛んに「発見・征服」を進めていたころの話である。

主人公フェルナン・ロペスはリスボン生まれ、ギリシャ語を貴族の子弟たちに教える文学趣味のどちらかと言えばひ弱で地味なな青年だった。が、彼は、親友ジュアノ・Dが好意を抱く美しい彼の従妹(いとこ)ローザに思いを寄せ、ついには彼から奪ってしまう。

傷心のジュアノ・Dは、インド航路を発見しリスボンに戻って来たヴァスコ・ダ・ガマの第二回の遠征に身を投じる。5年後に戻って来た彼は夥しい財宝を持ち帰り、ローザに大きなダイアモンドの垂れた金の頸飾りを贈る。

フェルナノはジュアノが持ち帰った財宝に幻惑された。ジュアノとは性格が違うというロ-ザの反対を押し切って、フェルナノはインドへ赴く遠征隊に加わった。彼の出発の5か月前に娘のアンジェリカが生まれていた。


2.ロペスの乗り組んだ船隊は、海沿いの町を次々に襲撃し、市街地を焼き、掠奪し、全ての住民を殺して進んでいった。ポルトガル王は掠奪品総額の2割を徴収することを引き換えに掠奪を公認し、香料を王室の専売品とし、インドから運ばれた商品に対しては品物によって62.5%までの輸入税を徴収していたのだ。つまり、遠征隊が掠奪を進めれば進める程、ポルトガル王室が莫大な利益を得る仕組みになっていた。ポルトガル王室こそ遠征隊という名の盗賊の元締めだったことになる。

遠征隊は、苦戦の末、ついにはインドの“黄金の都市”ゴアをも占領し、守備兵9千人、回教徒6千人を皆殺しにした。この虐殺に参加したロペスは、ある建物の中で若い女に出遭い、彼女を見逃した。大虐殺の夜、ポルトガルの軍人に見逃して貰った美貌の舞妓がいたことが噂になる。


3.ポルトガル兵の中には、土地の娘と結婚し、棄教し、雑貨屋の主人になった者も居た。その雑貨屋と取引のある現地人のロサルカッドという男が、ロペスと問題の舞妓との再会を手引きした。ロペスは、舞妓アイシャに対する熱情の虜(とりこ)となった。

ある時、ポルトガル軍の隊内で棄教の疑いのある者たちが責めらられ、棄教者たちは土民兵とともに反乱を起こした。教会と国家とが一体となった体制のなかで、ポルトガル人であってもキリスト教を棄てた者は国家への反逆者とみなされ、ロペスもその中の一人だった。ロサルカッドは彼らを助け守備隊長となった。


4.
マラッカ(シンガポ-ル付近)の平定に向かっていた副王ダブルケルケがインドに戻って来た。彼は叛乱軍である守備隊に対し降伏勧告を行い、棄教ポルトガル人の無条件引き渡しを要求した。ロペスは叛乱軍の発起人と見られていた。ダブルケルケは棄教者たちの右手首と左拇指を切り落とし、両耳と鼻を削いだ。そして、彼らを見せしめのためにポルトガルに送ったが、ロペスだけはこの運命を免れた。

1516年秋、ゴアからリスボンに向かって出発したサン・ミカエル号に鼻のない男ロペスが頼み込み乗船した。同船者たちは彼を悪魔の使であるかのように眺め、「どんな猛獣よりも人間は猛獣だ」とロペスに思わせた。彼は、アイシャの遺品である頸飾りを船長に渡し、娘のアンジェリカに届けるように頼んだ。

船が、アフリカから2,800km離れた南大西洋に浮かぶセント・ヘレナと呼ばれる無人島に仮泊したとき、ロペスは姿を消した。


5.ロペスが無人島に暮らして10年が経った頃、彼は本国中に広く知られる存在となり、「ロペスは今年もセント・ヘレナ島で生きているかどうか」が賭(かけ)にされるようにさえなった。

更にそれから10年の歳月が流れたころ、ロペスはリスボン行きの便船に乗った。王宮に行き王と妃に会い、ロ-マに行って法王から棄教の罪に対する赦(ゆるし)を貰った。

そして、法王に懇願して国王宛てにセント・ヘレナ行の船に乗れるよう手紙を書いて貰ったので、国王は彼をセント・ヘレナに送った。法王によって良心の咎を拭われ、彼の心は軽くなり人間に対する恐怖も鎮まっていた。


6.鼻のない男は、その後無人島でさらに10年ばかり生きたようだ。

1815年、ナポレオンがセント・ヘレナ島に着いたとき、ロペスの飼っていた家畜の子孫が野生に戻って生存しているのを発見したと言われている。



この小説について私が考えたことは、次回お伝えしたい。



[参考文献]

男性自身 英雄の死    鼻のない男の話 山口 瞳著 新潮文庫 新潮社
きだみのる自選集 第一巻 鼻かけ男の話           読売新聞社






                                            


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by GFauree | 2017-05-20 03:53 | 鼻のない男の話 | Comments(0)