「大航海時代の日本人奴隷」という話題は、それをテーマとした本がよく売れたこともあってか、この数年来結構論じられるようになったし、このブログでも何度か採りあげてきた。
これらの記事を書きながら、上に表紙の写真を貼付した「カトリック教会と奴隷貿易 現代資本主義の興隆に関連して」西山俊彦著(サンパウロ)という小冊を思い出し、出来ればもう一度読んでみたいと思っていた。たしか、サラリ-マン時代の終わりの頃に購入した筈だったのだが見当たらないので、日本を出る前に処分してしまったものと思い込んでいた。それが、どういう訳か数日前忽然と目の前に現われた。ただ、本棚にあることに気が付かなかっただけの事かも知れないが、どうも不思議なことだ。
2006年発行の版なので、ペル-に来る1~2年前に入手したのだろうけれど、例によって読みかけて挫折した。テーマは、途方もなく膨大かつ根深い問題であるはずである。加えて、著者は、率直な意見表明などをすれば、いかにも大きな抵抗を受けそうなカトリック教会に所属する司祭である。そんな条件の下で問題に真正面から向き合おうという著者の大胆かつ率直な姿勢に驚きながらも、内容が充分理解できず途中で降参してしまったというのが正直なところだ。
去年から何度も書いたことだが、かつて読み始めたけれどよく理解できず途中で放棄してしまった本が、70歳を過ぎてから意外にも理解できるようになるという嬉しい経験をこの2~3年のうちに何度かしたので、今度も、もしやしてという期待があって読み始めた。
【この本の内容】
奴隷貿易、奴隷制によって何百年という長期にわたり収奪されてきたアフリカ諸国は、1960年代に次々に独立した。ところが、欧州列強による植民地分割の跡をそのままに各国が独立した(それは、不自然な直線の国境線に表われている)ことも災いして、その後、隣国との戦争や国内紛争が絶えず、「旱魃、飢餓、難民、失業、汚職、経済悪化」に見舞われ現在も絶望的と言わざるを得ない状況が続いている。
奴隷労働が近代資本主義の形成に決定的役割を果たしたことは、既にヨ-ロッパ全体で認められている見解である。
①アフリカで黒人を買い漁って「新大陸」南北アメリカへ運ぶ
②「新大陸」で彼らを酷使して原料を大量生産する
③原料をヨーロッパで製品化して世界に売りさばく
この「三角貿易」によって蓄積された資本によって「産業革命」が実現された。
「産業革命」は動力とエネルギ-の革命によってもたらされたと説明されることが多いが、より決定的な要因は、原資を蓄積した時期の奴隷労働であると考えるべきである。
ということは、黒人奴隷に対する数世紀にわたる虐待・搾取と非人間的処遇によって、ヨ-ロッパ・北米諸国が工業化を進展させた一方で、アジア・アフリカ途上諸国は後進国として取り残されたのである。
この本の主題は、以上の現代資本主義の形成過程における、「カトリック教会の奴隷貿易に対する姿勢」を確かめ、その責任を問うことである。それ故に、先ず問題とすべきは、15世紀の大航海時代の幕開け前後からということになる。何故なら、奴隷貿易による収奪が開始された大航海時代において、カトリック教会は決定的な役割を果たしていたからである。その時代に発布された種々の教皇教書には、それが覆いようもなく示されている。
1.教皇エウジニオ四世の教書(1435年)
これは、「カナリア諸島でキリスト教へ改宗したか、改宗しようとしている住民を奴隷にすることを禁ずる」、つまりは「キリスト教徒でない者を奴隷とすることは許容する」教書である。
同時に、「キリスト教徒を奴隷にしては、ならない」との教書を発布することが必要だということは、この原則は守られず、「キリスト教徒すら奴隷にしていたこと」を意味する。
2.(1)教皇ニコラス五世教書(1452年6月)
(2)教皇ニコラス五世教書(1452年7月)
(3)教皇ニコラス五世教書(1454年)
(4)教皇カリスト三世教書(1456年)
これらは、「キリストの敵の奴隷化を許容する」教書のうち代表的なものである。
これらの教書に書かれてあることから、その底に流れる考え方は以下のようなものであることが分かる。
「異教徒及びキリスト教に敵対する者は誰であっても、襲い、攻撃し、敗北させ、屈服させた上で、あらゆる所有物を奪い、終身奴隷におとしめても構わない。」
そして、このような(暴力的で、幼稚で、粗雑な考え方に基く)教書が発布された理由として以下の要因が考えられる。
(1)「聖戦」の論理も、それを適用することについても、発見される「新世界」の分割・領有の根拠も、奴隷化の基準までもが、教会の教義・教権の下にあったこと。
(2)「福音宣教」の目的のため、ポルトガル・スペイン両国王には、「教会組織監督の特権」(パトロナ-ト・レア-ル)が与えられていたこと。
(つまり、教会と国家が一体となって世界征服を進める体制が作られていたこと。)
(3)世俗君主の第一の目的は、植民地主義・帝国主義的勢力拡張により、政治的・経済的利益を得ることにあったから、福音宣教と救霊福祉という宗教的な目的は逆に手段として利用されたこと。
3.(悪名高き)教皇アレッサンドロ六世は、ポルトガルとスペインの間で世界を分割することを定めた「分界教書」で有名だが、「贈与大勅書」と呼ばれる教書も発布している。
それは、「神よりペトロに与えられた権威と、キリストの代理人としての権威に基き、キリスト教君主によって所有されていない領土の一切の支配権をカスティリャ・レオンの国王に永久に与え、彼らの相続人を完全無欠の領主として認証する」という(あきれ果てた)内容のものである。
4.16世紀前半の教皇文書
(1)教皇ユリオ二世大勅書(1508年)
スペイン国王フェルナンドとその継承者に無期限の「教会組織監督の特権」(パトロナ-ト・レア-ル)を与えた勅書。
(2)教皇レオ十世小勅書(1514年)
「神に刃向かう者の領土を征服し、財産を剥奪し、終生奴隷とするためのキリスト教徒の権利を確認する」勅書。
(3)教皇パウロ三世の諸勅書(1537~8年)
(アレッサンドロ六世の愛人ジュリアの兄であり、イエズス会創設を承認したことで知られる)教皇パウロ三世は、三つの勅書により、破門の罰を課してまで明確にインディオの奴隷化を禁止しておきながら、その一年後の勅書により、なんと禁止を撤回した。
(さすがに、この教皇らしく、スペイン王権からの要求に従ったまでの腰抜けぶりである。)
5.布教地先住民の奴隷化を実現し推進するための仕組み「勧降状」(リケリミエント)
教皇アレッサンドロ六世の「贈与大勅書」によって、新たに「発見される世界」はキリスト教君主に与えられることとなったが、与えられた一般的な支配権だけでは、先住民インディオの奴隷化までは許されるかどうかは確かではなかった。そこで、考案されたのが「勧降(催告)状」(リケリミエント)という仕組みである。
「勧降状」(リケリミエント)とは、征服活動を率いる指揮官が戦いを始める前に朗読することを(勅令で)義務付けられていた‘’宣言文‘’のことであり、アステカ王国が滅ぼされたときも、インカ帝国が征服されたときも、朗読されたものである。
(その内容と言い、また先住民がそれを聞いて理解できるはずがないという点と言い、実に馬鹿げたものであるが、)スペイン人征服者にとっては、教会と国家の権威によって、手あたり次第の掠奪・戦闘を「正義の戦い」に変化させ、良心の呵責を鎮めることのできる魔法の仕組みであった。
「勧降状」に続く征服を経て、事態は虐待・虐殺・奴隷化と進み、先住民は激減または絶滅した。ただし、先住民の激減・絶滅の直接の原因は、スペイン人が持ち込んだ疫病だったという説が有力である。
なお、スペイン人は先住民社会に様々な疫病を持ち込んだが、先住民社会が好色・淫乱なヨーロッパ人にしたお返しが一つだけあったと言われている。それは、梅毒である。それはともかく、インディオ先住民が激減したため、南北アメリカの植民地化推進が困難となったことから、南北アメリカ「新大陸」における労働力は先住民インディオからアフリカ黒人奴隷へと代替されることとなった。
6.日本でのキリスト教布教と奴隷貿易
奴隷と宣教師
日本でのキリスト教布教も、ポルトガル・スペイン両国とカトリック教会が一体となって進めた世界征服の一環として行われた大航海時代の事業であった以上、当然の事として、カトリック教会及びイエズス会は奴隷貿易と関係していた。しかし、昔も今もそれを認めるはずはない。
その時期までに発達した海上交通網は、激減または絶滅した先住民インディオに替わる黒人奴隷の労働力をアフリカからアメリカ「新大陸」へ運ぶ一方、腐敗堕落の結果衰退した教会勢力を回復させようと新天地を求めた宣教師たちを極東の島国(日本)へ届けた、ということになる。
本書でも、本能寺の変の際、信長のために最後まで奮闘した黒人奴隷は、イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・バリニャ-ノから献上された者だったことや、ザビエルと共に来日したコスメ・デ・トレス神父は、山口で教会の下働きの仕事に外国人奴隷を使用していたことが挙げられている。しかし、注目すべきことは、そんな些末なことではない。
注目すべきは、1570年に長崎が開港される数年前から多数の男女が奴隷として日本から輸出されていたことである。そして、秀吉が政権を握り九州征伐に乗り出した1586年頃には、既に相当数の日本人奴隷が海外に輸出され、世界中に拡散しており、またそのことが広く知られていたのである。
少年使節の見聞対話録
前掲の記事にも書いたことだが、大航海時代に世界に散在したと言われる日本人奴隷に関し、その惨状を語るとしてよく引用される書物がある。それは、1590年マカオで印刷、刊行された「日本使節の見聞対話録」(ラテン語)であり、その日本語訳は「デ・サンデ天正遣欧使節記」(新異国叢書-雄松堂)として出版されている。
1582年遣欧使節派遣を企画・断行し少年たちを引率したアレッサンドロ・ヴァリニャ-ノは、帰国の途上にあった少年たちとインドで合流し、1588年8月マカオに到着、1590年6月まで滞在する。何故、2年近くマカオに滞在したかと言うと、1587年7月秀吉の「伴天連追放令」が発布され、安全な日本入国を果たすためにその機会を覗わざるを得なかったからである。
ヴァリニャ-ノはそのマカオ滞在の間に、一行から見聞や体験を聴取し、旅先での記録として整理し編纂して、同じイエズス会のドゥアルテ・デ・サンデ神父にラテン語で書かせた。それが、「日本使節の見聞対話録」であり、その内容は、少年使節である千々石ミゲル・伊東マンショ・原マルチノがミゲルの二人の従兄弟(いとこ)リノ(大村喜前の弟)、レオ(有馬晴信の弟)を相手に帰国後に旅先での見聞を語る「対話録」の形式で書かれている。
「対話録」は虚構だがヴァリニャ-ノの本音を示す貴重な資料
この「対話録」は上述の通り、日本にいたはずの従兄弟たちとまだ帰国前の千々石ミゲル他少年使節たちとが、あたかも面談し語り合っているかのように書かれているという点で既に虚構(フィクション)である。従って、そこに書かれてある事柄もそのまま歴史的事実と考え論ずることは出来ない筈のものである。ところが、大航海時代に世界に散在したと考えられる日本人奴隷の惨状が論ぜられる際に、あたかも真の記録であるかのようにこの「対話録」の内容がそのまま引用されることが少なくない。
本書においても、その「対話録」の日本語訳である「デ・サンデ天正遣欧使節記」が引用されているが、「本当の著者とされるA・ヴァリニャ-ノ神父の体験を原マルチノ(少年使節)の口を借りて述べれば」との断り書きが付けられている点で良心的である。
ただ、確かに「デ・サンデ天正遣欧使節記」は厳密にはフィクションであるが、「日本人奴隷輸出問題」に関する資料が不足する中では、ヴァリニャ-ノ自身がこの問題をどう考えていたか、その本音を示すものとして貴重な資料ではある。それを確かめる意味から、「使節記」の内容のうち「日本人奴隷輸出問題」に関わる部分を、今回改めて以下に書き出してみた。
既に書いたように、教皇が異教徒を奴隷化することを教書によって認めるなど、カトリック教会が奴隷化に関わっていた事実を勘案すると、少年たちのせりふには、ポルトガル人を擁護するためのヴァリニャ-ノの手前勝手な言い分が満載されていて読んでいるうちに気分が悪くなってくるが、関心のある方は一応目を通して頂きたい。
なお、一部少年たちのせりふがヴァリニャ-ノの主張であることを前提として、赤字で注釈を補記してみたが、そんなことをしているうちに、腹が立ってきて血圧が普段より20ぐらい上がってしまった。
レオ ちょうどよい機会だからお尋ねするが、捕虜または降参者はどういう目に遭わされるのだろう。わが日本で通例やるように死刑か、それとも長の苦役か。
ミゲル キリスト教徒間の戦争で捕虜となったり、やむをえず降伏する者は、そういう羽目のいずれにも陥ることはない。つまり、すべてこれらの者は先方にも捕虜があればそれと交換されるとか、また釈放されるとか、あるいはなにがしの金額を支払っておのが身を受け戻すのだ。というのも、ヨ-ロッパ人の間では、古い慣習が法律的効力を有するように決められ、それによってキリスト教徒は戦争中に捕われの身となっても賤役を強いられない規定になっているからだ。
既に述べたように、同じキリスト教徒でさえ奴隷とされていた実情は、それを禁じた教皇教書から明らかになっている。無知なのか、それともそれを知っていてこんなことをデ・サンデ神父に書かせたのか。
だがマホメット教徒、すなわちサラセン人に属する者に対しては、別の処置が取られる。これらの者は野蛮人でキリストの御名の敵だから、交戦後も捕えられたまま、いつまでも賤役に従うのである。
異教徒(例えば、仏教徒)は、キリストの敵だから、戦って奴隷にしてよいという考え。
レオ そうすると、キリスト教徒なら、その教徒間では戦争中に捕虜となっても、賤役に従えという法律に拘束される者は一人もいないわけだな。
ミゲル そうしたことで市民権を失った者はただの一人もない。それはまた今もいったように、古来の確定した習慣で固くまもられている。
それどころか、日本人には慾心と金銭への執着がはなはなだしく、そのためたがいに身を売るようなことをして、日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨ-ロッパ人はみな、不思議に思っているのである。
日本人に自己を卑下させて、自分の主張を認めさせる手法。(戦後どこかの新聞が使っていたことを、思い出させる。先進的なイエズス会は、この時代にもうこの手法を使っていたのだ。)
そのうえ、われわれとしてもこのたびの旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、道義をいっさい忘れて、血と言語を同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への義憤の激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。
義憤に駆られて見せる茶番的話法。
マンショ ミゲルよ、わが民族についてその慨きをなさるのはしごく当然だ。かの人たちはほかのことでは文明と人道とをなかなか重んずるのだが、どうもこのことにかけては人道なり、高尚な教養なりを一向に顧みないようだ。そしてほとんど世界中におのれの欲心の深さを宣伝しているようなものだ。
全ての責任を日本人に転嫁するための話法。
マルチノ まったくだ。実際わが民族中のあれほど多数の男女やら、童男・童女が、世界中の、あれほどさまざまな地域へあんな安い値で攫(さら)って行かれて売り捌かれ、みじめな賎役に身を屈しているのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか。
日本人奴隷に憐憫を感じている善人ぶりをアピ-ルする話法。
単にポルトガル人に売られるだけではない。それだけならまだしも我慢ができる。というのはポルトガルの国民は奴隷に対して慈悲深くもあり親切でもあって、彼らにキリスト教の教条を教え込んでもくれるからだ。
ポルトガル人に売られれば、慈悲深くキリスト教を教えてくれるから有難く思えとのとんでもない主張。
しかし日本人が贋の宗教を奉ずる劣等な諸民族がいる諸方の国に散らばって行って、そこで野蛮な、色の黒い人間の間で悲惨な奴隷の境涯を忍ぶのはもとより、虚偽の迷妄をも吹き込まれるのを誰が平気で忍び得ようか。
贋(にせ)の宗教を奉ずる劣等な諸民族とか、野蛮な色の黒い人間とかの表現で差別的人種観をはしなくも漏らしてしまう。
レオ いかにも仰せのとおりだ。実際、日本では日本人を売るというような習慣をわれわれは常に背徳的な行為として非難していたのだが、しかし人によってはこの罪の責任を全部、ポルトガル人や会のパドレ方へ負わせ、これらの人々のうち、ポルトガル人は日本人を慾張って買うのだし、他方、パドレたちはこうした買入れを自己の権威でやめさせようともしないのだといっている。
ミゲル いや、この点でポルトガル人にはいささかの罪もない。何といっても商人のことだから、たとえ利益を見込んで日本人を買い取り、その後、インドやその他の土地で彼らを売って金儲けをするからとて、彼らを責めるのは当たらない。
全ての責任を日本人に転嫁しポルトガル人を擁護しようという意図が露わになってしまっている。
とすれば、罪はすべて日本人にあるわけで、当たり前なら大切にしていつくしんでやらなければならない実の子を、わずかばかりの代価と引き替えに、母の懐から引き離されていくのを、あれほどこともなげに見ていられる人が悪い。
また会のパドレ方についてだが、あの方々がこういう売買に対して本心からどれほど反対していられるかをあなた方にも知っていただくためには、この方々が百方苦心して、ポルトガル王から勅令をいただかれる運びになったが、それによれば日本に渡来する商人が日本人を奴隷として買うことを厳罰をもって禁じてあることを知ってもらいたい。
確かにイエズス会の要請により1570年に日本人奴隷売買を禁止する国王の勅令が布告されたが、その後現地当局・イエズス会・ポルトガル商人に努力が不足していたために効果が上がらなかった。その反省は皆無。
しかしこのお布令ばかり厳重だからとて何になろう。日本人はいたって強慾であって兄弟、縁者、朋友、あるいはまたその他の者たちをも暴力や詭計を用いてかどわかし、こっそりと人目を忍んでポルトガル人の船へ連れ込み、ポルトガル人を哀願なり、値段の安いことで奴隷の買入れに誘うのだ。ポルトガル人は、これをもっけの幸いな口実として、法律を破る罪を知りながら、自分たちには一種の暴力が日本人の執拗な嘆願によって加えられたのだと主張して、自分の犯した罪を隠すのである。
だがポルトガル人は日本人を悪くは扱っていない。というのは、これらの売られた者たちはキリスト教の教義を教えられるばかりか、ポルトガルではさながら自由人のような待遇を受けてねんごろしごくに扱われ、そして数年もすれば自由の身となって解放されるからである。さればといって、日本人がこうい賎役に陥るきっかけをみずからつくることによって蒙る汚点は、拭われるものではない。したがってこの罪の犯人は誰かれの容赦なく、日本において厳重に罰せられてよいわけだ。
日本人が奴隷とされ、キリスト教に強制的に改宗させられたとしても、イエズス会は何らの罪も恥も感じなかったらしい。それどころか、キリスト教の教義を教えられ、丁重に扱われ数年で自由になるのだから感謝すべきだと考えていたようだ。
レオ 全日本の覇者なる関白殿が裁可された法律がほかにもいろいろある中に、日本人を売ることを禁ずる法律は決してつまらぬものではない。
ミゲル そうだ。その法律はもしその遵守に当たる下役人がその励行に目を閉じたり、売り手を無刑のまま放免したりしなかったら、しごく結構なものだが。だから必要なことは、一方では役人自身が法律を峻厳に励行するように心掛け、他方では権家なり、また船が入ってくる港々の寵なりがそれを監視し、きわめて厳重な刑を課して違反者を取り締ることだ。
レオ それが日本にとって特に有益で必要なこととして、あなた方から権家や領主方にお勧めになるとよい。
日本人奴隷を売る側の日本の領主が秀吉の禁止令を遵守しさえすれば問題は解消するとして、ポルトガル人に全く非がないという考え。
ミゲル われわれとしては勧めもし諭しもすることに心掛けねばなるまい。しかし私は心配するのだが、わが国では公益を重んずることよりも、私利を望む心の方が強いのではなかろうか。実際ヨ-ロッパ人には常にこの殊勝な心掛けがあるものだから、こうした悪習が自国内に入ることを断じて許さない。
「日本人は公徳心に欠けているが、ヨーロッパ人は公徳心に溢れているから、奴隷売買などあり得ない。」という第2次大戦後流行したタイプの嘘を、イエズス会はもうこの時代から使っていたことは驚きである。
以上赤字の注釈を整理すると、少年たちのせりふに込められたヴァリニャ-ノの考えの以下の要素が浮かび上がる。
・無知または事実の歪曲化、隠蔽、一神教的独善主義
・自己を正当化するためであれば、相手に自己卑下を要求し自分の善人ぶりを披歴するなど、何でもする恥知らずさ
・奴隷化に協力しておいて、キリスト教への改宗を迫り、改宗すればそのことに感謝を要求する図々しさ
・ついには、差別的人種観丸出しの主張を強弁すること
【私の意見】
1.キリシタン教会内の階級制と差別的人種観
奴隷制と人種差別が不可分の関係にあることは広く認められていることだろう。差別的な人種観が奴隷制を支え、逆に奴隷制が人種差別を温存してきた、と言えるのではないか。また、日本のキリシタン教会を終始主導したイエズス会に差別的人種観があったことは、確かなことである。
・ヴァリニャ-ノの人種観と日本人の処遇の実態
日本のキリシタン教会を指導・監督する立場にあった巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノは人種を次のように分類し、聖職者として教会内に迎え入れることの是非という観点から、評価を与えている。
(高瀬弘一郎著 キリシタンの世紀 ザビエル渡日から「鎖国」まで 岩波書店)
(1)インド生まれの者
①原住民
②メスティソ(ポルトガル人と原住民との混血者)
③カスティソ(ポルトガル人とメスティソとの混血者)
④両親ともポルトガル人である者
(2)ポルトガル生まれの者
ヴァリニャ-ノは、①と②で言う原住民とは、インド人などの褐色人種に限定し、日本人・中国人などは‘’白人‘’として区別している。
①については、能力・精神共に劣悪ゆえ、一人もイエズス会へ入会させてはならない。
②③共、入会は極力抑えねばならない。
④についても、安易に入会を許してはならない。
(2)について、‘’新キリスト教徒‘’(改宗ユダヤ人)及びその子孫は、完全に教会から排除せねばならない。
これを見ると、日本人には特別な評価が与えられていたようだが、17世紀に入ると、日本人の入会と司祭への登用についてのイエズス会内の見方は、否定的な方向に傾き、日本人は非正規会員で都合によって解雇することのできる‘’同宿‘’として働かせるのがよいとされるようになった。(情勢によっては随時解雇のできる非正規会員制度など、イエズス会の‘’先進性‘’には目を見張るばかりである。)それはともかく、個人的にはヴァリニャ-ノのように日本人を特別に評価する会士もいたが、会の大勢としては日本人に対する人種的偏見にとらわれていた、と見て間違いはないだろう。
(そう言えば、「2020東京オリンピック」に関して日本人をおだてれば、必ずそのおだてに乗って自分の都合の良いように動いてくれると信じ込み、それが無礼に当たることを意識もせず日本人を舐め切っていたようなIOC会長の発言は、ザビエルやヴァリニャ-ノの「日本人に対する特別評価」を思い出させてくれた。)
独力でロ-マに行き、司祭となったペトロ・カスイ・岐部も日本出国時は同宿の身分であり、ローマでも相対的に地位の低い教区司祭として司祭に叙階された後に、やっとイエズス会入会を果たしたのである。また。トマス・アラキもローマで司祭に登用された際は、教区司祭として叙階されている。
(教区司祭の地位が修道会司祭のそれと比較して相対的に低かったこと、またそれが世界の布教地共通の事象であったことは、C.R.Boxerが「The Church Militant and Iberian Expansion 1440~1770」で指摘している。)
私は、この岐部やトマス・アラキが単独行してまでロ-マへ行き司祭となろうとした理由は、彼らがセミナリオで学び相応の学力を得ていたにもかかわらず、非正規会員である‘’同宿‘’の地位に甘んじさせられていたからであろうと考える。‘’同宿‘’は、キリシタン教会の実際の運営を担う重要な存在であったが、会の中ではあくまで「使用人」であり、道で外国人司祭に会えば、草履を脱いで土下座しなければならないという、屈辱的な立場にあったようである。
こんなイエズス会内部の実態を観れば、日本人に対する人種的偏見は当然の事として存在し、そんな蔑視の対象である日本人が奴隷として売買されようが、大半が差別的人種観を持つヨーロッパ人宣教師が問題にする筈はない。また、イエズス会が組織として日本人奴隷売買を本気で阻止しようとしなかったことが、日本人奴隷輸出禁止を命じたポルトガル国王勅令(1570年)が実を結ばなかった原因であるとされている(岡本良知著「十六世紀日欧交通史の研究」六甲書房)ことも頷けるのである。
2.秀吉・家康はカトリック教会・イエズス会にどう対応したか
本書に書かれた、「日本人奴隷貿易問題」に関する解説は僅か九行であるので、そのまま書き抜く。
「確かに日本人奴隷貿易には日本側の姿勢、特に鉄砲戦費を調達するための九州諸大名のそれが問わなければなりません。しかし、日本人奴隷貿易が秀吉による「伴天連追放令」(1587年)の明確な理由となったこと、そして、これに対する教会責任者G・コエリョ準管区長の応答が輪をかけたことも想像に難くありません。実に恐ろしいことです。―日本人奴隷貿易が引き金となって宣教師は追放され、高山右近は失脚し、日本二十六聖人等の殉教から鎖国へと暗転して行ったのですから―キリシタン時代の人権意識がこれぽっちのものでしかなかったために、無数の日本人が世の辺境に名も知れず霧消して行った、と同時に、大迫害・殉教の嵐が続く酷く厳しい鎖国潜伏時代の幕開けとなりましたー」
本書が250頁程の小冊であるため、この重要な内容を解説するスペ-スが充分になかったのかも知れないが、この要約には首をかしげざるを得ない。「実に恐ろしいことです。」とは何が言いたいのだろう。これでは、まるで秀吉という日本の最高権力者を悪魔の手先のように描く「お可哀そうなキリシタン殉教物語」になってしまう。
実際、「伴天連追放令」によって宣教師は一時的に潜伏せざるを得なくなったが、国外に追放されたわけではなかったし、「二十六聖人殉教」と奴隷貿易とは直接の関係はない。禁教・鎖国へと暗転して行った過程については、もっと整理する必要があるのではないか。どうも、ローマを中心とした海外のカトリック教会の歴史を論じられる方は、「日本キリシタン時代史」については不案内である場合が多いように感じられてならない。どんな議論を進めるにも、先ず身近な足元の事柄について確かな見識を持つことから始めることが必要であると私は思う。
以前、秀吉のキリシタン政策について記事に書いたことがある。
要するに、秀吉は、大義名分を重んじ、大義名分に則って行動すれば、必ず敵に対して優位に立ち、また人心も掌握できると信ずる権力者として非常に正統的(オーソドックス)な人物だったのである。だから、イエズス会が奴隷貿易を進めるポルトガル人商人を抑えるどころか、その貿易の一翼を担って来さえしたことを知った時には、信長に仕えていた時期から長い間うさん臭く思っていた外来の宗教団体の弱みを掴んで、これで正面切って徹底的に叩くことが出来ると、喜んだはずなのである。
そして、怒ったふりをしてガスパル・コエリョを追求し、「追放令」まで発布し、奴隷を受け戻せと要求し、その費用を負担すると見栄を切ったのである。大義名分に乗っかった自分の言動にイエズス会は抵抗できる筈はないし、そこまでやれば、家臣・民衆の人心は益々自分のものになるということを計算した上でのことである。
そもそも、コエリョは、イエズス会日本準管区長とは言え所詮は単なる一介の聖職者に過ぎない。実は日頃から、会が奴隷貿易に関わっていることを後ろ暗くは感じていたのであろう。そうであれば、奴隷貿易への関与を指摘されて、口先だけでも、ポルトガル人商人を厳しく取り締まると言っておけば良いものを、やましい気持ちがあるものだから、ポルトガル人商人をかばい、売る方の日本人が悪いなどと本音を口走ってしまった。とても、秀吉の相手ではないのである。そのコエリョは、1590年にヴァリニャ-ノが日本に戻ってくると、原因不明の突然死を遂げたそうだから、そのことの方がよほど「恐ろしい」。
家康についても、禁教を断行した悪魔のように言う人たちがいるが、そんなことはない。忍耐強い、正統的(オーソドックス)な権力者だったのである。先ず、家康も秀吉同様、長崎貿易で相当儲けさせて貰ったイエズス会仲間の一人だったから、後にその仲間を裏切ったことにはなるかも知れない。家康は死後膨大な資産を残したことで知られているが、その資産のかなりの部分は長崎貿易で儲けたものであったようだ。
家康は江戸幕府を開いた後10年以上経ってからも、浦賀にスペイン船との通商のための港を開くための方途を探り、伊達政宗の慶長遣欧使節派遣を承認し支援するなど、カトリック国スペインとの国交樹立の方途を粘り強く探り続けたのである。しかし、「大坂の陣」に備えるにあたり、豊臣勢とキリシタン勢力が結びつく兆しがあったことから、ついに1614年の全国的禁教令発布に踏み切ったのである。秀吉の「伴天連追放令」発布から、なんと27年後である。実に忍耐強い為政者ではないか。ついでに言えば、一般的に、「鎖国」は「島原の乱」の2年後の1639年に完成した、と考えられている。それは、秀吉の「伴天連追放令」から52年(半世紀)後の家光の時代のことである。
このように、秀吉・家康は合理的にまた冷静に、まさに‘’国家理性‘’に従って不法な集団を牽制・追求・排除したわけだが、そうされる方はその真意が呑み込めず、狐につままれたような、または悪魔にかどわかされたような気分でいたのではないだろうか、と私は想像する。何しろ、人種差別と奴隷制度は彼らの社会の古代からの宿痾(生まれつきの業病)であり、空気に土地に精神に深く浸み込んでほとんど意識したこともないものである。加えて、それは教会を通じて神が認めてくれていることであり、世界の何処においてもそんなことを理由に拒絶・排除されたことは未だかつて無かったのである。分かり易く言えば、ポカンとするしかなかったのだろう。
心の底から真剣に怒っている人々の真意がさっぱり理解できないという、そのポカンとした間抜けた様子は、「2020東京オリンピック」でIOC会長が見せてくれたので、我々には想像しやすい。付けたりになるが、そういう分からず屋におもねって得をしてやろうという日本人が、昔もいただろうし今もいることは、残念だし気持ち悪いが現実である。
【今後に向けた抱負】
1.この本を読んで私が改めて気付かされたことは、
(1)先ず、カトリック教会が教皇教書によって、異教徒を奴隷とすることを公式に許容していた、ということである。
これまでも、ポルトガル・スペイン両国王に、教皇によって「教会組織監督の特権」(パトロナ-ト・レア-ル)が与えられ、国家と教会とが一体となって世界征服を進めること、また新たに「発見」される「新世界」が両国に分割・領有されることになっていたことは知っていた。しかし、その結果支配される異教徒の奴隷化まで、教会が公式に許容していたとは、迂闊なことに認識していなかった。
それらの、教書が発布されたのは、日本にザビエルが渡来する50~100年前である。ということは、ザビエルは、異教徒先住民である日本人がキリスト教に敵対すれば、奴隷化することを許容する組織(カトリック教会及びイエズス会)の一員として日本に来たことになる。
鹿児島に到着したときの、ザビエルの言葉「この地を聖母マリアに捧げます。」には、そういう意味があったのだ。何故なら、この時代、「征服地」という言葉には、獲得される領土だけでなく、支配される先住民という意味も含まれていたからである。司馬遼太郎は、「余計なことをして」と言って笑ったそうだが、笑いごとでは、ないのである。
次に知ったことは、
(2)メキシコのアステカ王国やペル-のインカ帝国を征服する際には、それを円滑に進めるために考案された「勧降状」(リケリミエント)という仕組みが使われたということである。
私は、上記(1),(2)によって、15~6世紀のローマ、日本、南北アメリカ、アフリカが繋がり、それぞれの地で行われたことが、より鮮明にリアルに一体となってイメ-ジ出来るようになった感じがしている。言い換えると、日本では武力によって宗教を強制することが出来なかったために「猫を被っていた」集団の真の姿がますますはっきりと見えてきたという感じである。その「猫かぶり」の裏側こそ、「キリシタン時代の奴隷問題から透けて見えるもの」である。
歴史探索において、その時代を、社会を、人々を鮮明にリアルにイメ-ジ出来ることは、大切なことであり大いなる楽しみでもある。嘘は何処かおかしいと感じさせるから、それを読んだり聞いたりしても、鮮明でリアルなイメ-ジは湧いてこず、面白味も感じられないものである。70を過ぎたこの歳になって、やっと自分の住む世界のことがわかってきたぞという、今さらと思って恥ずかしいような、でも嬉しい気持ちがしている。
2.これで、ペル-に住んで日本のキリシタン時代やその時代のローマのことを、読んだり考えたりすることがもっと楽しくなりそうだ。日本に居た頃買って持って来たまま興味が湧かず、本棚に眠らせていた「インディオの保護者」バルトロメ・デ・ラス・カサスに関する本も読みたくなって来た。それに、ラス・カサスに関する本であれば、もっと読みたくなれば当地でも入手できる。
3.南北アメリカ大陸において、激減または絶滅させられた先住民インディオの代替として導入されたアフリカ人の奴隷問題、人種差別問題も未だに沈静化には程遠い感じがする。アメリカ合衆国の公民権法成立は、僅か50年前、ついこの間のことだから、当然のことである。こういう問題も、この本のお陰で私としては初めて身近に感じられるようになって来た感じがする。
ペル-は、インディオ(インディヘナと言うべきかもしれないが)・モンゴロイド系の人またはそれと白人系との混血の人が多く、黒人系の人は少ないと思われている人が多いかもしれないが、実際は黒人系の人は少なくない。今でも住民のほとんどが黒人系の人ばかりという地域もあるぐらいである。
そして、白人系の人の中には、極端な人種差別観を持っている人も少なくない。黒人系の外観を持つ人は親戚の集まりにも呼ばないという人もいる。この本のお陰で、これからはそういうことも凝視できそうである。
以上