前回の記事に、「ボルジア家-悪徳と策謀の一族」マリオン・ジョンソン著 海保真夫訳(中公文庫)を本棚の整理をしていて見つけたと書いたが、その時、ロ-マ教皇に関する以下の本も持っていることに気付いた。
・スペイン語版「Los Borgia」マリオ・プ-ゾ著
・「チェ-ザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」塩野七生著(新潮文庫)
・塩野七生ルネッサンス著作集6「神の代理人」(新潮社)
スペイン語版「Los Borgia」は、13年前ペルーに来た直後、近所のやや高級なスーパ-(この国は差別社会だからスーパ-にも高級・中級・下級の区別がある)の廉価本のコーナ-で買ったものであることは憶えている。と書いていると、その頃の正直言って心細いような気分が蘇ってきて、少しせつない気持ちになる。
スペイン語に慣れるための助けになれば、と僅かでも分かり易そうな分野の本が目に付いたので買ったのだが、約400ペ-ジのうち20ペ-ジ程で頓挫して放置していたのだ。当時は未だ、こういう本を読むために必要な周辺的な知識が全く不足していたために、仮に日本語版であっても読み続けるのは難しかったのではないかと思う。ただ単純に、今より中途半端に若くて根気が無かったせいかも知れないが。
ところが、前回の記事に書いた「ボルジア家-悪徳と策謀の一族」は、意外に楽に読み通せたので、その後にこの「Los Borgia」も読んでみようと思った。と言うより、「ボルジア家」を読んでみて、キリシタン時代当時のローマの事情をほとんど知らなかったことに気が付いたせいもある。
それに、著者マリオ・プーゾがイタリア系マフィアを描いた有名な映画『ゴッドファーザー』の原作者であることが分かりなおさら興味をそそられた面もあった。ローマ教皇庁をマフィアの組織になぞらえればどんな内容になるか面白そうな気がしたのだ。そう言えば昔、ある日本の評論家が「ローマ教皇庁は共産党に似ている。」という風なことを言っていたことも思い出した。
問題は私の持っている「Los Borgia」はスペイン語版なのだ。調べてみると「ザ・ファミリ-」と題した日本語版(加賀山卓朗訳-ヴィレッジブックス)も出版されている。しかし、コロナ禍で依然として日本・ペル-間の航空郵便は停止されている。DHLで送ってもらう手もあるが、中古なら200円で買える本の郵送料に一万円以上かける勇気はない。それでは、ということで覚悟して、2月下旬からスペイン語版を読み始めた。
試しに読んでみると、1ペ-ジ読むのに平均して40分ぐらいはかかる。それで、1日に5ペ-ジ読むことにした。
1日に約200分(3時間20分)、辞書を片手に格闘することになった。約400ペ-ジだから、80日間、約3カ月掛かった。
内容について言えば、前回の記事に書いた文庫本「ボルジア家」には、教皇アレッサンドロ6世の叔父である教皇カリスト3世のことから、アレッサンドロの曽孫であるイエズス会総会長フランシスコ・ボルハのことまでボルジア一族が広範に書かれているのに対し、この「Los Borgia」に描かれているのは殆どアレッサンドロ自身と彼の子供達(チェ-ザレ、ルクレツィア、フアン、ホフレの4人)に起きた出来事である。
もちろん、その4人の子供達の母親ヴァノッサや愛人ジュリアのことも書かれているが、実は、アレッサンドロにはこの4人以外に5人の母親不詳の子どもがいたのだ。教皇は人並外れて面倒見の良い人だったのである。そういう意味で、この「Los Borgia」に副題を付けるとすれば、「教皇アレッサンドロ6世とその子供達」としなければならない。
どんなことが描かれているのか、序文には物語の時代的背景がしっかりと、しかし丁寧に書かれているように感じた。
〈序文〉
ルネッサンスという時代
黒死病(ペスト)がヨーロッパを荒廃させた頃、市民たちは地上を見棄て、その失望を抱えながら天を見上げている他は無かった。哲学的な思考に傾きがちな人々は、そこに存在の神秘を見出そうとし、それによって彼らは、壮大な生命の神秘を洞察することが出来るようになったが、もっと貧しい者たちは、苦痛を和らげることをひたすら求めるばかりであった。
中世的宗教の失墜と古典文化の復興
こうして、中世の厳しい宗教的教義は力を失い始め、偉大なギリシャ・ローマ古典時代の文化研究に取って代わられることとなった。十字軍遠征に賭けられる切なる願いが弱まるにつれ、ギリシャ神話のオリンポスの神々が復活し、抑圧されていた彼らの戦いは再び解放された。かくして、人々は神に背を向け、理性が再び支配することとなり、それは哲学や芸術や医学や音楽における偉大な収穫の時代を意味した。そして、文化が絢爛豪華に咲き乱れることとなったが、それによって人々は神に対し心を閉ざすという代償を支払わねばならなくなった。
ヒュ-マニズムの方向転換の難しさ
古い掟(おきて)は、新たな規律が作られるまで破壊されるままとなった。ヒュ-マニズムは、「神の言葉」と「永遠の生命」とに対する信仰を厳しく守ることから、「人間の尊厳」と「物質的な報い」とを求めることへと方向転換することとなったが、その転換は実際のところ容易なことではなかった。
無法の町ローマ
当時のローマは神聖な都市ではなく、無法な場所であった。街では市民が襲撃され、家々は略奪され、売春婦は気ままに野外で商売をし、何百人もの人が殺害されていた。
絶えまない領土の奪い合い
イタリアとして我々が知っている国は未だ存在していなかった。長靴形の国土の境界線の中で、個々の都市は旧家・王侯・封建領主・貴族や教会の司教たちによって支配されていた。今日イタリアと呼ばれる国土の中で、隣人同士が互いに土地をめぐって争い、勝利を得た者は次の侵略に備えて常に警戒を怠らなかった。
スペイン・フランス・トルコなどの外国勢力
外国勢力は、常に征服を狙っており、イタリアの弱小領主たちにとっては不断の脅威となっていた。スペイン・フランスの君主たちは、領土を拡大するために闘い、トルコはイタリア半島沿岸を脅かし続けていたのだ。
カトリック教会の”大分裂”
教会と貴族は権力をめぐって争い続けた。”大分裂”(グラン・シスマ)が始まると、二人の教皇が並び立つことによってカトリック教会は分断され、その収入は劇的に減少した。
ロ-マ教皇庁復活の兆し
”大分裂”が終了し、ローマに単一の教皇座が復活したことは、教皇庁にとって絶頂とも言える新たな段階の前兆であった。
教皇庁と諸国王・諸侯との競合の理由
カトリック教会の「精神的指導者」であるはずのローマ教皇が、何よりも強大な権力を有したからこそ、諸国王・諸侯と対決せざるを得なかっただけのことである。
教皇庁の腐敗
そんな事情に加えて、聖なるカトリック教会は絶えることのない騒乱の中に沈み込んでいた。教皇庁の最上層部までに汚職が定着してしまっていたからである。
偉い人たちの道徳的頽廃
純潔の誓いを無視して、枢機卿たちは日常的に売春婦を訪ね、同時に数人の愛人を抱えさえしていた。
賄賂の横行
賄賂は日常茶飯事のこととなり、司祭たちは受け取る金銭と交換に神に対する義務から貴族を開放し、更に膨大な罪に赦しを与えていた。
金が全て
ロ-マでは何にでも値段があると言われていた。十分な金があれば、教会も贖宥(罪の償いの軽減証明書)も教書(教皇・司教の公式布告)も永遠の救いさえも金を払えば買うことが出来たのである。
どこの家庭でも、2番目の男子は生まれた時から、宗教的な資質の有無にかかわらず、聖職者として生きていくために教育された。
カトリック教会は王冠を、またあらゆる種類の世俗的特権を与える権利を保持していて、一族のうちの誰かが枢機卿会の一員となることが出来るよう、莫大な賄賂を差し出さない貴族はイタリアには居なかったのである。
ルネッサンス時代の世のなかは、そんなものだった。
ロドリゴ・ボルジア枢機卿(のちの教皇アレッサンドロ6世)と彼の家族にとって、世間とはそのようなものだったのだ。
以上、序文に書かれているのは、当時の社会状況、宗教・文化的な傾向、国内における領地の争奪戦と外国勢力の侵入、カトリック教会の‘’大分裂‘’とローマ教皇庁の復権、そしてカトリック教会内部特に上層部の腐敗堕落と道徳的頽廃である。この本は、あくまで小説である。しかし物語の背景として、この序文に書かれていることが史実であろうことは、まず間違いない。
そこで、私が思い出したのは、幕末・明治維新の時期に起きた「隠れキリシタン信徒発見」である。
幕末・維新の「信徒発見」とローマの腐敗堕落の関係
明治元年の2年前1865年のこと、長崎の大浦に建設された天主堂を秘かに訪れた複数の信者たちが、パリ外国宣教会の神父ベルナ-ル・タデ・プティジャンに質問した。
・「聖母マリア像は、どこにあるのか?」(聖母マリア信仰)
・「あなた(神父)たちは、ローマ教皇を知っているか?」(「神の代理人」ロ-マ教皇の存在)
・「あなたたちは、独身か?」(司祭の独身)
これら三つの質問は、カトリック教会の特徴を表わしており、彼らが230年間の禁教の時代を通じて、本物のカトリック宣教師を見分ける方法として教えられ伝えられてきたものだ、とプチジャン神父は考えた。そして、「信徒発見」を報告した。
この話は、私も65年ぐらい前に教会の土曜学校で聞いた。発見された「隠れキリシタン」信徒が230年を超えてカトリック信者としての明確な意識を維持していたという感動的な話である。そして、その根底にあるべきものは、統率するロ-マ教皇と信者を指導する司祭たちの清廉潔白さへの強い期待と信頼感である。
ところが、そのカトリックの信仰がザビエルによって日本に伝えられた1549年の約50年前の15世紀末、既にローマ教皇や枢機卿たちは放恣に独身の誓いを破り、女性関係どころか堂々と子供を持ち、その子供達も含む近親者を重用して教会を私物化していたのである(それは、アレッサンドロ6世だけの話ではない)。
日本のキリシタンはロ-マ教皇庁の「腐敗堕落」の産物
しかし、考えてみれば、こういう「腐敗堕落」があったからこそ、それをカトリック教会内部から改革しようという動き(対抗宗教改革)の中でイエズス会が創設され、その創設者の一人フランシスコ・ザビエルが日本に渡来したからこそ日本へのキリスト教伝来があったとも言えるのである。
(ちなみに、イエズス会創設を認可したロ-マ教皇パウルス3世の本名は、アレッサンドロ・ファルネ-ゼであり、アレッサンドロ6世の愛人ジュリアの兄である。叙階以前に4人の庶子を設け、十代の孫たち二人を枢機卿に任じている。)
このような「腐敗堕落」した教皇たちがいなければ、日本のキリシタン時代は無かったかも知れないのである。
マフィアと呼ぶにふさわしい悪は誰か
そして、さらに思うことは、自分たちが「神(キリスト)の代理人」・精神的指導者として尊重する教皇や教皇庁の実態がこのようなものであることを、日本への布教を献身的に進めようとしたとされるイエズス会の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノをはじめ宣教師たちはどの程度知っていたのだろうか、ということである。ヴァリニャ-ノはナポリ王国のキエティ市生まれでヴェネツィア領のパドヴァ大学で学んだのだからイタリアの事情には通じていた筈である。まあ、分からなかったというのであれば仕方ないが。もしローマ教皇庁の内情を分かっていて、布教活動をしていたのであれば相当の悪である。それこそ、マフィアと呼ぶにふさわしい。しかし、教皇庁の腐敗堕落などを知っていて、こんな世界の果ての極東の地まで来て苦労できるだろうか。それも、疑問である。
家内の場合
この本「Los Borgia」は、カトリック国ではどのように受け留められているのか知りたくなって、とりあえず家内に訊いてみた。家内は家族が元々カトリックで小・中学校(ペル-は中学が5年制で高校がない。)はミッション系、中学を出たときに修道院に入ろうとしたが、「貴女は向いていない。ほかの形で社会に貢献しなさい。」と断られて(そういう断り方は常套的なものではないか、とも思うが)しまったそうである。そして、ちょうどその頃、叔母(母親の姉)から「Los Borgia」を読むことを勧められた。
その叔母は、従来敬虔なカトリック信者だったが、50歳前後の頃、カトリック教会に疑問を感じてプロテスタントに転じた。転宗するには、「Los Borgia」もきっかけの一つになったらしい。その叔母は真面目な人だったから、他の親戚にも転宗を勧め、その結果、妻の母方の親戚はプロテスタントの方が絶対多数である。「Los Borgia」はそのくらい影響力を持ったらしいのである。
(ちなみに、ペル-はカトリック国でカトリック信者が90%ぐらい、と言われているが、実際は私の見るところ、カトリック信者は50%程度で、残りの半分がプロテスタントと言う感じである。)
さて、肝心の「Los Borgia」に対する家内の感想であるが、チェ-ザレとルレクツィアとの兄妹間の近親相姦に嫌悪を感じて読み進められなくなったということである。(この近親相姦はフィクションと言うより、かなり定説的な噂である。この本には、はっきりとは書かれていないが、アレッサンドロ自身が実の娘ルクレツィアと肉体関係があったとの噂まであるのである。)
家内にとって、教皇アレッサンドロ6世の行状なども読むに堪えなかったようだ。私も若い頃は、(実は私の父はカトリック系の大学に勤めていたので、嫌でも内情を聞かされていた。)教会の中がそれほど美しいものだとは思っていなくても、歴史的な事項も含めて教会の醜聞を見聞きすることには耐えられなかった覚えがあるので、家内の気持ちは理解できるような気がするのだ。
つまり、教会の上層部を信じ切っている訳ではなくても、いざ「Los Borgia」のような本で恥部をえぐり出され、醜聞を具体的に示されると、教会に対する信頼を前提に日々暮らしてきた身には、それを読み切るのはなかなか辛いということである。そして、このことは、カトリック信者一般に起こり得ることなので、どこの国でもこの本を読み切れるカトリック信者は決して多くないだろうと私は推測している。
私の感想
さて、それでは、私はどう読んだかということであるが、実はとても楽しく読めてしまった。
1.私にとって意外なことに、自分はミサや聖歌や祈り(それもラテン語の)や儀式(教会では典礼と呼ばれている)で使われる蝋燭や炊かれる香の匂いが実はとても好きだったことを、この本を読みながら今までに無く素直に認められるようになっていることに気が付いた。それから、この本の中で強調されているミサの中で司祭が着る(祭服と呼ばれる)衣装である。白の絹地を背景に紫や緑の布地が使われ金色の糸で縁取りされていて、上品な華やかさがあるので子供の時から好きだったことも改めて思い出した。(千年以上にわたって、最も効果的に宗教的雰囲気を醸し出すことが出来るように専門家たちが考案し続けてきた知識・技術の集積なのだから、当然のことかも知れない。)
要するに、この本を読んで、私はカトリック教会を取り巻く雰囲気やそれを形作っている、ある意味で形式的な事柄が結構好きであることに改めて気付かされたのである。そして、それらは形式的な事柄だと言っても、私にとってあまり馬鹿に出来ないことなのである。
2.チェ-ザレとルクレツィアとの兄妹間の近親相姦も自然に描かれているので、好きなものはしょうがないではないかという感じがしたのだった。枢機卿や教皇が売春婦を身近に侍らせているのも、複数の愛人を囲っているのも、本人が好きだったのなら、それはそれでしょうがないのである。
それに、アレッサンドロ6世が実の息子チェ-ザレを使ってイタリア全国制覇を目指したことは、封建領主としては当然のことで目くじらを立てる必要などないことである。僅か数年の隆盛の後、アレッサンドロの死没により零落していくチェ-ザレが哀れだという見方があるが、教皇が選挙で選ばれるという制度上、世襲など出来ないのだから、チェ-ザレの凋落は最初から分かっていたことなのだ。
「Los Borgia」に描かれたアレッサンドロ6世は、自分と家族のことしか考えないエゴイスティックで恥知らずなマイホ-ム・パパである。つまり、自分たちと同じ普通の人なのである。だからと言って、どうして彼を責めることが出来るだろうか。
近親相姦をしようが、売春婦を買おうが、愛人を囲おうが、息子に全国制覇を目指させようが、エゴイスティックで恥知らずなマイホ-ム・パパであろうが、我々とさして変わらないのだから我々にそれを責める資格はない。しかし、そういう人やその後継者を尊敬しろと言われても困るのである。まして、そういう人やその後継者が「神の代理人」であるとか、「統治者」であるとか、「精神的指導者」であるとどうして考えられるのだろうか、と思ってしまう。
つまりは、アレッサンドロ6世親子のような人々とは付き合わなければ良いだけの話であるが、彼らの「腐敗堕落」の結果、日本にキリスト教が伝播することになるのだから、皮肉な話である。そういう事情を考えると、キリスト教がその後「禁教・鎖国」と言う形で日本から締め出されたことは、当然の結果だったのではとも思える。
しかし、一時は隆盛を迎えやがては衰退していったその時代の日本のキリスト教信者はまさかそんな事情があったなどとは、思いもしなかったのではないだろうか。そこが何だか哀れである。その哀れさは、コロナの渦中に「ぼったくり男爵」たちからオリンピックを押し付けられようとしている国民の姿と重なるように感じるのは私だけだろうか。(そう言えば、「ぼったくり男爵」たちは見た限りでは皆、白人だ。)
あの時代は、為政者が決然と外敵を駆逐したが、現在の為政者は自己の政権の延命のために外敵と結託して国民をより大きなリスクにさらそうとしているように見える。尤も、「禁教・鎖国」も自家の政権の長期化・世襲化の為だったという見方もできる。要するに、外敵も為政者も身勝手であることに今も昔も変わらないのだが、それにしても我慢強い国民である。だから外敵にも為政者にも舐められるのだろう。
3.この小説「Los Borgia」は、作者マリオ・プーゾが晩年の15年以上をかけて練り上げた力作であるということである。柔軟で深い洞察の上に築かれた物語は自然で分かり易く、思わず引き込まれる魅力がある。私はこれから何度も読み返して、その魅力の源を掴み味わってみるつもりである。
巻頭に掲げられたフョードル・ドストエフスキーの言葉(『カラマ-ゾフの兄弟』より)を記しておこう。
私を下劣で卑しいままにさせ賜え
けれども、神を包む聖骸布に接吻することを許し賜え
神よ、たとえ悪魔に従う身であろうと、私をあなたの子であり続けさせ賜え
私はあなたを愛し、それなしにはこの世は存在し得ないような幸せを感じているのだから
以上