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ペル-からパナマ・マカオ経由日本へ行き、秀吉に会った男がいた?[その2]

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Photo by Juan Goicochea

               

[その1]で、秀吉に会った男フアン・デ・ソリスの経験を書きました。

その経験を取り巻く事情について色々考えていると、その男の人生がよりはっきり想像できて楽しいような気がします。そこで、それら諸々の事情について私が読んだり考えたりしてきたことを書いてみたいと思います。


1.フアン・デ・ソリスの船は何故マカオで差し押さえられたか

  

の流れと東西インド間の交易の禁止

1545年に(現在のボリビアの)ポトシで発見されたの生産は1560年代に急増します。そしてこの銀が、やがて太平洋航路を経て中国大陸に流入することになります。しかし、が流入すれば、中国大陸の物価が高騰し中国商品を仕入れて貿易取引をするポルトガル商人の利益が薄くなります。そのため、ポルトガル人商人の働きかけによって、東西インド間(つまりポルトガル・スペイン両国の領地間-例えば、マカオ・メキシコ間)の交易を禁ずるスペイン・ポルトガル国王の勅令が1586年以降、繰り返し発せられました。

フアン・デ・ソリスの船も、第8代副王ガルシア・デ・メンド-サの船も、ペル-またはパナマというスペイン領地からマカオというポルトガル領地へ直行していて、南米のを中国大陸の入り口マカオに運んでいるのですから、まさに国王の勅令に違反しています。そのため、これらの船にマカオ当局が強い姿勢で臨んだのは当然かも知れません。そういう意味で、ソリスのマカオと日本での日々は最初から密貿易船の船長としての苦難が運命付けられていたとも言えます。



2.フアン・デ・ソリスが扱った金額のスケ-ルはどれくらいのものだったか


秀吉が権力を掌握するきっかけとなった本能寺の変の頃(1582年)から秀吉のキリシタン禁教令の頃(1587年)までの、日本キリシタン教会の年間経費は1万から1万5千ドゥカドと推定されています。この時期のキリシタン信徒の数は20~30万人と言われています。

まず、ソリスがイエズス会の金庫に預けて返して貰おうとした金額が6千ドゥカドと言われています。ということは、ソリスは信者20~30万人を抱える宗教団体の年間経費の約半分を預けたことになり、かなりの多額です。

それから、ソリスの船が仕入れのためにパナマから積んできた銀の金額ですが、それは分りません。ただ、第8代副王の船がペル-から積んできた銀は20万ドゥカドと言われていますので、それに近いかも知れません。ということは、日本キリシタン教会の年間経費の約20倍の金額相当のを持って来て仕入れをしようとしていたことになりそれも莫大な金額です。

こういうことを見ていると、ソリスが日本でしようとした中国大陸との取引も相当な規模のものが想定されていたと考えられ、供託金の差し押さえなど、ポルトガル人商人の異常ともいえる警戒心や反応も根拠のあることだったと考える方が自然でしょう。


3.なぜソリスは驚異的な奮闘が出来たか


商人にしろ、宣教師にしろ、この「大航海時代」と呼ばれる時期の人々の精神面・肉体面の活力には驚くことが多いのですが、マカオ・日本で過ごした3年間だけでも、フアン・デ・ソリスについて同じことが言えます。

歴史上の人物にレッテルを貼って納得したような気持ちになることは、なるべく避けたほうが良いのですが、ソリスの場合に「ペルレ-ロ」という名称がつい頭を掠めてしまいます。

1560年代に生産が急増した銀を背景に、スペイン本国との貿易や国内取引で多額の儲けを挙げ富を蓄積したペル-商人たちがいました。やがて、彼らはスペイン本国でも銀で商品の買い付けを行うようになり、「ペルレ-ロ」と呼ばれるようになりました。本国の商人たちは自分の既得権益を侵食するペルレ-ロを駆逐しようとしましたが成功せず、ペルレ-ロはイギリス・フランス船との密貿易によって生き延びて行きます。そもそも、アカプルコ・マニラ間の貿易の有利さに気付き、アジアに銀を輸出しだしたのは「ペルレ-ロ」だと言われています。

ソリスが単なる密貿易船の船長であるとしたら、ポルトガル商人とイエズス会という既得権益を享受してきた一大勢力に立ち向かうような無謀ともいえるようなことが何故できたのか不思議に思います。しかし、彼が実は「ペルレ-ロ」と呼ばれる世界的に活躍していたペル-出身の商人の一人であったと考えれば納得できるような気がします。


4.秀吉は舌なめずりをして喜んだ


(1)
ソリスやフアン・コーボがポルトガル人やイエズスス会の非道や正体を暴露をしたので、秀吉はイエズス会に不信を抱くようになったという当時の歴史家の言葉や著者の考えが書いてある本があります。私はそういう証言や解説を読むと、正直なところ一種の苛立ちさえ感じてしまいます。

それは、天下を取った秀吉がいまさらポルトガル人やイエズス会に警戒感を抱いたなどということはあり得ないことだからです。そもそも、秀吉は信長の臣下であった時期から、イエズス会士たちを見知っています。そして、戦国時代を生き抜いた抜群の戦略家である彼は、彼らの背景が国家政策の一環として活動する世界的な勢力であることを察知し、彼らを猜疑の眼で見ていたはずです。

そのため、自身の権力維持に必須である貿易の権益確保と国内秩序安定のために、ポルトガル商人・キリスト教徒という大勢力の窓口であるイエズス会を、ときには脅かしたり叩いたりしながら、またそのための材料を探しながらうまく操縦していこうとしていたのだろうと私は考えます。

権力者というものは支配するべき者を叩く機会を常に狙っているものです。しかし、有能で狡猾な権力者であればあるほど、決して理不尽だと言われる叩き方はしないものです。自己の権力を脅かすものを叩きながら、自分が支配する社会の秩序は維持していかなければならないのですから、彼の攻撃には大義名分が必要なのです。


(2)
1587年のバテレン追放令発布の前に「多数の日本人がポルトガル人によって奴隷として海外へ売られていること」を知り秀吉が激怒したという話がありますが、私は秀吉は激怒などしていないと思います。むしろ、イエズス会を攻撃する確かな材料をつかんで喜んだと思うのです。「全ての人間は神の前で平等である」と説いている宗教団体にとって奴隷売買にかかわっていることが大変な弱みになることを見透かしていたのだろうと思います。国家の最高権力者として、自国内に食い込もうとする外部勢力の窓口を叩く願ってもない大義名分ですから見逃すはずがありません。


(3)
1596年に漂着したサン・フェリ-ペ号の水先案内人が「イスパニアの広大な領土と征服の進め方を自慢した」のを聞いて秀吉が怒ったという話があります。これも、秀吉は怒ってなどいないと思います。そもそも、スペインがどのような形でペル-の征服を進めそこに教会がどう関わっていたのかを秀吉はとっくに知っていたという話があります。また教会勢力を叩いて脅かせる材料が掴めたと喜んだのでしょう。その結果が、「26聖人処刑(殉教)」による脅かしです。今度脅かす相手は、イエズス会ではなく、フランシスコ会・ドミニコ会などの托鉢修道会であり、また托鉢修道会を手先に使おうとしているスペインの出先機関であるフィリピン・マニラ政庁です。その証に、「処刑」されて「殉教」させられた26人中23人は托鉢修道会系の聖職者・信者だったのです。


(4)ソリスやフアン・コ-ボの発言に対しても、秀吉は烈火の如く怒って長崎の教会打ち壊しを命令したという話がありますが、私はそれもおかしいと思います。

秀吉は信長に仕えていた時期から散々宗教勢力との接触を経験して、宗教団体にとって内部対立が如何に弱みになるかを知っていたはずだからです。ちょうど、同じ年1592年に本願寺宗主顕如が死去し、秀吉は顕如の未亡人如春尼から申し出を受けて後継者に関する裁定を下し本願寺の内部対立に決着をつける動きをしています。

その秀吉にとって、教会内部の対立の情報を齎してくれるソリスやフアン・コ-ボは「有難いお客さん」であったに違いありません。しかも、折あらば攻め込もうとまで考えているフィリッピンについても、反ポルトガル・イエズス会勢力としておだてれば、有効な情報が得られるかも知れません。「茶の湯の接待」だろうとなんであろうと喜んでしたでしょう。そして、結果は大義名分のある「長崎イエズス会施設打ち壊し」です。

そういう意味で、「秀吉にたいへん歓迎された。」というソリスの証言は表面的には間違いではありませんが、客観的に見れば「秀吉にうまく利用された。」というのが本当のところではないかと思います。

そして、「ソリスがイエズス会神父たちのことを訴えるために京都に行き秀吉に謁したことがある」などと、ソリスが秀吉に何度もあったような話がありますが、それは、ソリスの影響力を強調するためのフィリピン・ドミニコ会系の言辞ではないかと私は思います。

秀吉はソリスやフアン・コ-ボを歓迎するそぶりをみせながら、結局のところ、「日本の最高権力者として在留外国人間の争いに関与しないとの方針を踏み外すことはなく、ポルトガル・イエズス会とスペイン・托鉢修道会間の紛争には実際には干渉しなかった」と考えるほうがより自然ではないかと考えます。

以上


[参考文献]


ペル--太平洋とアンデスの国  増田義郎/柳田利夫著 中央公論新社
キリシタンの世紀 ザビエル渡日から「鎖国」まで  高瀬弘一郎著  岩波書店
なぜ太平洋戦争になったのか  北原惇著 TBSブリタニカ
日本の歴史 14 鎖国   岩生成一著  中公文庫
Extremo Oriente y el Peru en el siglo XVI      Fernando Iwasaki Cauti著
キリシタンの時代-その文化と貿易  岡本良知著          八木書店

                                              

                                                

























by GFauree | 2015-01-09 05:48 | フアン・デ・ソリス | Comments(0)  

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