隠れてはいなかった「潜伏キリシタン」 [その3]
2016年 10月 09日
今年2月、世界文化遺産登録を目指していた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本県)について、UNESCO(ユネスコ)の諮問機関ICOMOS(イコモス:国際記念物遺跡会議)から禁教期に焦点を当てるべきだとして推薦書の練り直しが提案され、政府はUNESCOへ提出していた推薦書の取り下げを決定したとの報道がされていた。
その報道に接したころは、正直な所あまり興味が湧かなかったのだが、今回ほんの僅かではあるけれど「潜伏キリシタン」に触れたせいで、その「世界遺産登録」はどうなったのか気になってきた。そこで、インタ-ネットで検索してみたところ、長崎県世界遺産登録推進課のホ-ムページに、その後の展開を含めて経緯がまとめられていた。(https://www.pref.nagasaki.jp/s_isan/news/)
それによると、その後の経緯は以下の通りである。
4月末~5月初
イコモスの専門家が現地を視察し、世界遺産登録の審査基準であるOUV(Outstanding Universal Value: 顕著で普遍的な価値)へ各資産がいかに貢献するかについて協議を行い、助言をうけた。
5月末
「世界遺産登録推進会議」において、禁教期との関連を示す物証のない「日野江城跡」・「田平天主堂」を除く12資産で推薦書を再構成することが決定された。
7月末
文化審議会において、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が本年度の国内推薦候補として選定された。
★対象資産が有すると考える「世界遺産としての顕著な普遍的価値(OUV)」の内容
「長崎地方の潜伏キリシタンが禁教期に密かに信仰を続ける中で育んだ宗教に関する独特の文化的伝統を物語る顕著な物証」
9月初
登録を目指す遺産のタイトルと構成する資産の名称が変更された。
タイトル 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」⇒「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
今後の予定
来年2月までに、推薦書(正式版)をUNESCOへ提出し、9月~10月頃ICOMOSの現地調査が行われ、翌年夏に、世界遺産委員会で登録の可否が審議される運びとなっている。
《私の意見》
1.ユネスコの諮問機関というのは、そんなことまで言ってしまうのか
「ユネスコの諮問機関イコモスから、禁教期に焦点を当てるべきだ」との報告を受けたとの報道から改めて感ずることは、「ユネスコの諮問機関というのは、そんなことまで言ってしまうのか」という驚きである。
キリスト教関連の歴史といえども、一国の歴史の一部である。その歴史の見方をユネスコの諮問機関に決めつけられて、推薦書を提出した政府は何らの抵抗もなくその報告を受け容れたようである。しかし、報告内容の妥当性は疑わしい。
そのような問題を含んだ報告を提示するにあたっては、当然イコモスには日本側の反応に対する懸念があったであろう。そして報告が波乱なく受け容れられたことで、ほっと胸をなでおろしたのではないか。それは、後で述べるように報告の文面が工夫されていることから察せられる。
そのイコモス報告の内容を示す文書は、長崎県世界遺産登録推進課のホ-ムペ-ジに添付されている。(https://www.pref.nagasaki.jp/s_isan/file/201602icomos_point.pdf)
おそらく、イコモスの報告の翻訳文をそのまま添付したものだろう。
問題は以下の部分である。
・イコモスとしては日本におけるキリスト教コミュニティの特殊性は、2世紀以上にわたる禁教の歴史にあるという印象を受けており、それは(特殊性は?)禁教期に見出せると考える。
・従って禁教の歴史的文脈に焦点を当てた形で、推薦内容を見直すべきである。
2.日本におけるキリスト教コミュニティの特殊性は禁教期?
当然のこととして、キリスト教コミュニティの性格は当該地域が本来持っていた条件やそのコミュニティの生成過程によって影響されるものだろう。ここでは、話を単純化するために、当該地域が本来持っていた条件はひとまず措いて考えることにする。すると、日本のキリスト教コミュニティの特殊性は、海外布教地としての生成過程の特殊性から、すなわち布教の進められ方の特殊性から生じたものということになる。
簡単に述べることのできる問題ではないように思うが、敢えて日本での布教の進められ方の特殊性と考えられるものを挙げてみよう。
・大半の期間にわたって、海外進出を進めるポルトガル国家の支援の下、他の修道会を排除したイエズス会の主導で布教が進められたこと
・しかし、スペイン、ポルトガル両国の植民地支配や軍事力等直接の国家権力の行使なしに進められたこと
・「信者獲得」の面からも、「優位な政治的立場確保」の面からも、「布教活動費用捻出」の面からも、ポルトガル船貿易が重要な役割を果たしたこと
・大名等権力者から先ず入信せしめ、上から下へ信仰を広める方策が取られたこと
・日本人聖職者の育成・登用が抑制されていたこと(世界中の海外布教地で在ったことで、日本の特殊性と言えない事かも知れないが、一応挙げておく。)
ざっと考えても、これらの要因から日本のキリスト教コミュニティの特殊性が生じていた筈である。したがって、日本のキリスト教コミュニティの特殊性としては様々な要素が考えられ、それが「禁教の歴史(のみ)にある」などという答えは出てこない。
「報告」の文面では、「特殊性は禁教の歴史にある」と書かれている。結論からすると「特殊性は禁教の歴史のみにある」と言っているようなものだが、特殊性を「禁教の歴史」に特定しているわけでもない。後で述べるように、「印象」という言葉を使っている点も含め、練りに練った旨い書き方である。
3.「報告」がある意図のもとに作成されている場合
では、なぜイコモスは「禁教期に焦点を当てるべきだ」というような妥当とは言えない「報告」を出したのか。
それにはまず、その「報告」がある意図のもとに作成された可能性が考えられる。
ユネスコは国連の一部門を担う機関であり、イコモスはユネスコの諮問機関、つまりユネスコから注文を貰って仕事をする組織である。そういう国際機関が参加国から様々な圧力を受けながら活動していることは常識である。ユネスコやイコモスが教育、科学、文化に関わる機関だからと言っても、その例外ではないだろう。
だから、イコモスの今回の「報告」も、禁教の歴史のみに焦点を当てさせて日本の暗い過去を印象付ける機会としようとの一部の国の思惑を反映した意図的なものである可能性はある。
過去、フランスの日本学者レオン・パジェスの「日本切支丹宗門史」が反日宣伝に利用されようとしたように、キリシタン時代史の中の弾圧・禁教の側面は日本叩きのための格好の材料とされる可能性は、今も変わらない。
〈残酷な弾圧や迫害のイメ-ジは確かに広まっている〉
私がカトリックを国教としている国で暮らして意外に感じたのは、驚くほど多くの人が日本のキリシタン時代の布教について知っていることである。ただ、その知識や印象は、弾圧・迫害の厳しさ、残酷さに留まっているのが、一般的である。ということは、どこかで日本のキリスト教徒弾圧や迫害について教えられてきたのだろう。
メキシコやアンデス山中の修道院にある、「26聖人殉教(秀吉による26人処刑)」を描いた絵画が、キリスト教徒を迫害する非道で残酷な日本のイメ-ジを形造り、またそれを伝える役割を果たしてきたのでは、という話を聞いたことがある。
4.上記のような意図はなかった場合
次に、「報告」にその内容を歪めるような意図が含まれていない場合を考えよう。
その内容を歪めるような意図がないのに、なぜ妥当でないことが書かれたのか。
その答えは、「報告」の作成者または組織の知識不足である。
繰り返しになるが、「報告」には「日本におけるキリスト教コミュニティの特殊性は、2世紀にわたる禁教の歴史にあるという印象を受けており」と書かれている。なぜ「印象を受けており」というように明確な根拠がないことを暗示するような表現がされているのか。
私は、これは報告作成者が日本のキリスト教布教の歴史を充分には知らないことを、半ば認めているということではないかと思う。日本のキリスト教コミュニティに対する充分な調査・研究や知識を欠いているという自覚があるため、それを突かれた場合は、「だから、印象だと言っております」と逃げを打てるような書き方をしているのである。
〈ワンパタ-ンな思考の結果〉
あまりに卑近な比喩で笑われてしまうかも知れないが、この国でも人気のある高級料理として「日本料理」の知名度はかなり高いが、殆どの人は「日本料理」とは「刺身・寿司」のことだと信じて疑わない。「日本料理」が多様性をもった広範なものであるなどということは、知ろうとも考えようともしないのが普通である。料理の専門家ですらそうである。知らなくても、暮らしていけるし稼いでいけるからだろう。
「キリシタンの歴史」と言えば、「禁教・弾圧・殉教・潜伏」というのも、それに似ている。
上記2.で挙げたような日本でのキリスト教布教の進められ方の特殊性を知っている人に会ったことは私はない。ただ冷静に考えれば、日本人にも普通は知られていない事だから、この国でも一般の人が知らなくても当然である。それでは、専門家はどうかといえば、専門家も殆ど知らないだろうと私は思う。
その理由は、日本のキリスト教布教の特殊性を知るためには、その時代のカトリック教会についての知識とともに、「日本史」の知識も必要だからである。ところが、専門家でも「日本史」の知識のある人は非常に限られる。なぜかと言えば、彼らにとってその知識を得るための道具である日本語の難しさは想像を絶するものがあるからである。
〈日本語は本当に難しいらしい〉
私がスペイン語を公用語とするペル-に来てつくづく感じたのは、英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語・イタリア語などヨ-ロッパ言語は、ラテン語を起源とする方言のようなものだいうことだ。文字も単語も文法も共通するところが多い。だから、よほど適性がない人でない限り学習すればすぐ修得できる。欧米人で5か国語が出来るなどと聞いて感心する必要はない。出来て当たり前だからだ。
その点、日本語は特別だ。ひらがな、カタカナ、漢字など文字が3種類もあって、単語も文法もヨーロッパ言語と共通するものが殆どない。漢字に至っては何千字も覚えなければ、新聞も読めない。しかも、それを使っている人たちは全然違う考え方をする。
おまけに、そんなに難しい日本語を習得しても、将来それほど稼げないとしたら、誰が勉強しようという気になるだろうか。だから、学習者は増えないどころか、減少しつつあるようである。
〈英語で学ぶ「日本史」・「日本文学」〉
そういう難しい日本語を軸とする社会の、政治・経済・宗教も含む文化などの長い時代にわたる集積が「日本史」なのである。
実際には、日本史や日本文学などについて英語で書かれたテキストはかなりあるようで、それらが利用されているらしい。
しかし、英語で書かれたテキストでカバ-される範囲や深度は、当然限られたものになるだろう。ところが、専門とする仕事に必要な自分の知識の範囲や深度が充分でないことを、自分から認める専門家は日本にも海外にもまずいないから、知識不足は表面化しにくい。
5.それでは、どうすべきなのか
(1)人間や社会について知るために、歴史ほど参考になるものはないと思う。そして、歴史は限りなく面白い。それは、自分が社会に生きる人間である以上当然のことなのだろう。しかし、歴史はそれを記し、伝え、語る人の都合で如何ようにも変えられてしまうものであり、「キリシタン時代史」もまたその例外ではない。
以下、「キリシタン時代史」の辿った経緯を、高瀬弘一郎氏著「キリシタンの世紀」の助けを借りながら、略述してみよう。
①キリシタン宣教師が書いた文書類は、ザビエルの日本渡来の数年後からヨーロッパで出版され、そのうえ“日本カトリック教会史”とでも言うべき書物が多数著述されてきた。これら文書集や教会史の編纂の殆どは、カトリック教会関係者によって行われ、その出版の目的は教会や修道会の教化宣伝にあったから、彼らにとって知られたくない類の事柄は、当然そこには記述されていない。
②明治新政府や学界は、キリシタン史を日本史上に位置付けることを余儀なくされ、上に述べた教会側の文献を翻訳・移植することから着手した。ただし、それら教会側文献に依存する限り、その内容にはキリスト教史観による制約・限界がある。
分りやすく言えば、「キリシタン史」として語られたものの多くは「勇敢で献身的な宣教師と清く正しく敬虔な信者たちの、ひたすら美化された信仰物語」とでも呼べるものだったということだろう。
③近年、ロ-マのイエズス会歴史研究所において、世界各地におけるイエズス会士による布教に関して、原文書に基いて厳密な校訂を経た資料集が刊行され始めた。そして、それを使用して、内外の政治・経済的要因も踏まえた客観的・合理的歴史研究としての「日本キリシタン史」研究が進められるようになった。
極論すれば、「信仰物語」でない「キリシタン時代史」が「日本史」の一部として書かれるようになったのである。と、書くのは簡単だが、そこには気の遠くなるような膨大な労力が投入されている。資料の解読だけでも、何年もの修行を要する相当困難な作業なのである。
それが、今から40~50年前であり、高瀬弘一郎氏の日本学士院賞受賞(1979年)の対象となった「キリシタン時代の研究」という論文集はその客観的・合理的歴史研究の成果であると考えられるが、勿論成果はそれだけではない。
因みに、遠藤周作の「沈黙」も「侍」もこの頃に発表された作品であり、キリシタン史研究の発展はそういう面にも影響を与えているようだ。
歴史学の専門書と聞くと、二の足を踏まれる方が多いと思うが、百聞は一見に如かずである。ぜひ、上に挙げた「キリシタン時代の研究」や「キリシタンの世紀」を手に取ってご覧頂きたい。知りたいと思うような事柄が、驚くほど分りやすく書かれている。特に、「キリシタンの世紀」は、大学の通信教育のテキストとして執筆されたものだそうだから、入門書として読むことも出来るのではないかと思う。
〈イコモス日本国内委員会は岩波書店に入っているのに〉
イコモス日本国内委員会は岩波書店の本社ビルに入居している。岩波書店は、40年前から、高瀬弘一郎氏の著書「キリシタン時代の研究」や「キリシタンの世紀」を刊行してきた出版社である。イコモスの専門家たちが、これらの著作の内容を踏まえて「報告」を作成したのであれば、「キリシタンの歴史」イコ-ル「禁教・弾圧・殉教・潜伏」というようなワンパタ-ンな発想から脱け出ることが出来たのに、残念なことである。
(2)それでは、こういう日本での客観的・合理的キリシタン史研究の発展は海外のカトリック国に知られているだろうか。
答えは否である。
その第一の理由は、客観的・合理的キリシタン研究に関わることによって、教会や修道会にとって知られたくないような事柄を書いたり伝えたりしなければならないことになる危険があるからである。だから、こういう研究は危険視され、危うきに近寄らずで興味を示す人は少ないし、ましてそれを研究しようとする人は殆どいないであろう。こういう事情は、イタリア・フランスなどヨ-ロッパのカトリック諸国でも同様だろうと私は思う。そういう国での、教会の影響力は我々の想像を超えている。
私は、この国に来て初めて如何に日本がそのような点で自由な国であるかに気付かされた。また、既に日本で進められてきたキリシタン時代史の客観的・合理的研究の成果や内容を、カトリック国の大半の人々は想像すらできないであろうことを知った。
第二の理由は、既に述べた言葉の問題である。仮に、日本のキリシタン史に興味を抱いた研究者がいたとしても、自国語または少なくとも英語の参考文献がなければ、日本でどのような研究がなされているかを知ることすらできない。
日本で近年どのような研究がなされているかを知ることが出来なければ、昔の宣教師たちが伝えたような「ひたすら美化された信仰物語」(「禁教・弾圧・殉教・潜伏で塗り固められた」歴史もその中に含まれるだろう)が「日本のキリシタン史」だと思い込む他ないことになる。
(3)世界遺産登録によって、日本のキリシタン時代の歴史に多くの人の目が向けられ、その時代について知り考え、またそれを広く伝える機会となることは良い事である。
しかし、その過程において何らかの権威や権力がその歴史の見方を押し付けるようなことがあれば、多くの人に歪んだ「キリシタン史」像を抱かせ、その結果魅力も興味も失わせることになることは、上に述べた「キリシタン時代史」の変遷からも推測できることである。
したがって、まず私たちに必要な事は「日本におけるキリスト教コミュニティの特殊性は禁教の歴史にある」などという偏った見方に惑わされることなく、自分なりにその時代を多面的に知り、考え続けるという姿勢を堅持し広めていくことだろうと思う。
それとともに、せっかく近年日本で客観的・合理的歴史研究がなされてきたのだから、その成果を尊重し活かして「なぜ日本でキリスト教が禁止・迫害されなければならなかったか」についての正確な知識を世界に広めていく努力を国として進めることが必要である。政府は学士院賞を授けたり、外国機関の報告に対応するだけが能ではない。
それらの研究成果が既に英語他諸言語に翻訳され出版されているのであれば結構な事であるが、もし未だなされていないならば早急に着手すべきである。さしあたり、上に挙げた高瀬弘一郎氏の論文集「キリシタン時代の研究」と解説書「キリシタンの世紀」の内容の翻訳・普及は必須だと思うが、勿論それだけではない筈である。
〈完〉
by GFauree | 2016-10-09 06:39 | 隠れキリシタン | Comments(0)