【大航海時代のおと】

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なぜどのようにして、大量の日本人奴隷が世界中に拡散してしまったのか [その2]

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今回は、「大航海時代の日本人奴隷 アジア・新大陸・ヨ-ロッパ」ルシオ・デ・ソウザ 岡美穂子著 (中公叢書)を読んで考えたことを記したい。



本書の内容
 

〈序章〉改宗ユダヤ人商人と行動をともにした日本人奴隷の話

日本人奴隷ガスパ-ル・フェルナンデスは1577年豊後(大分県)に生まれ、10歳の頃誘拐され、長崎で改宗ユダヤ人であるポルトガル商人ルイ・ペレスに売られた。

ルイ・ペレスは、異端審問所によって祖国ポルトガルを追われ、インド・ゴア、コチン、マラッカ、マカオを転々としたうえ長崎に来航し居住していたのである。

長崎では、改宗ユダヤ人を警戒し毛嫌いする熱心な日本人キリシタン信徒との間に、相当な摩擦があったらしい。そんな中で、良く言えば「純真な」違う言い方をすれば「単純な」日本人信者が、イエズス会上長に改宗ユダヤ人がいることも知らず、ペレス等にひたすら頑な態度をとっていたらしい。

ペレスは、長崎を追われマニラに渡り、そこで5年後に告発を受け逮捕される。ガスパ-ルは、ペレス及び2人の日本人奴隷等と共にアカプルコに送られるが、その船上でペレスは病没する。

その後、ガスパ-ルを含む3人の日本人奴隷はメキシコの異端審問所に対し開放を求める訴訟を起こす。ガスパ-ルがペレスに買われてから、14年が経っていた。ガスパ-ルともう一人の日本人奴隷ヴェントゥ-ラの訴訟の証人となったのは、改宗ユダヤ人ルイ・ペレスの2人の息子たちであった。


〈第1章〉アジア
ここでは、ポルトガル、スペインの拠点であったマカオ、フィリピン、ゴアでの状況が述べられている。

〈第2章〉スペイン領中南米地域
メキシコ、ペル-、アルゼンチンである。
これについては、過去「1613年、ペル-のリマ市に日本人が20人いた。」という記事を書いた(http://iwahanjiro.exblog.jp/20544054/)ので、次回本書の内容に基いてそれを見直したい。

〈第3章〉ヨ-ロッパ 
については、特に目についた箇所を抜き出すと

ポルトガルに関して
「『解放』は実際のところ厄介払いである場合も多かった。奴隷が年をとり仕事ができなくなると厄介者でしかなくなり彼らの面倒をみるのを嫌がる主人は、それらの奴隷を『解放』した。」ということであり、他の地域でもそうであったであろう残酷な現実が語られている。

スペインに関して
ひとつは、「ポルトガルでの日本人奴隷の相場は、日本で売買された価格の100倍以上であったと推定される。」ということである。奴隷は転売を重ねながら移動していくために、遠くへ行けば行くほど付加価値が増していったと考えられるのである。これもまた、日本から遥か彼方まで奴隷が拡散してしまった一つの要因ではないかと私は思う。

もうひとつは、伊達政宗が派遣したと言われる慶長遣欧使節、支倉使節団の武士の中にスペインに残り奴隷のような待遇を受け焼き印まで押されてしまった人がいたということである。滝野嘉兵衛(ドン・トマス)という人物である。滝野は、野間半兵衛(ドン・フランシスコ)という同僚とともに、一旦はフランシスコ界の修道士となったが結局俗人にもどり、奴隷とされてしまったということである。彼については、その後の消息も書かれている。


読んで考えたこと


1.この本を読みながら、二つの話を思い出していた。

まず、子供のときに聴いた童話「安寿と厨子王」、酷く悲しい昔話である。これは、中世の芸能であった「説教節」の演目のひとつで原話は平安時代末期(11~12世紀)のものだということである。

次に、大正から昭和初期にかけて大蔵大臣や総理大臣を勤め、1936年の2・26事件で暗殺された高橋是清のことである。高橋は、明治維新の前年14歳の時英語習得のため渡米したが、ホ-ムステイ先に騙され年季奉公の契約書にサインさせられて、奴隷同然の扱いを受けたということである。

これらから考えられることは、日本国内での人身売買は古くから広く行われていてそれほど珍しい事ではなかったのではないかということと、また海外で日本人が奴隷の扱いを受けるということもつい最近の時代まで頻繁にあったのではないかということである。つまり、国内的にも対外的にも「国家は個人の生活権を保護すべし」というような思想や体制が定着するまでは、人が国内で売買され海外へ輸出されるようなことが容易に起り得たと考えられるのである。

そういう風に考えて来ると、大航海時代に大量の日本人が奴隷として海外へ輸出される土壌は確かに在ったのである。

また、大航海時代にポルトガルが世界で展開した貿易取引において奴隷はその主要商品であったことを考えると、ポルトガル船貿易が大量の日本人奴隷を世界中に拡散させたと言っても間違いではないだろう。しかし、奴隷という商品の取引量増加のためには、供給・物流・販売がともに拡大することが必要である。仮に当時内戦に敗れた側の兵士が虜囚となり奴隷とされることが稀であったとしても、戦国時代の相次ぎ長引く内乱によって民衆が疲弊しきっていたことが、先ず国内の人身売買を増大させていたという側面があっただろう。

そういう日本国内事情による供給と、輸出という物流手段と、外国という大口販売先とを得て、大航海時代に人身売買⇒奴隷取引が飛躍的に増大してしまったと見ることもできる。

こうしてみると、あの時代には日本人奴隷を大量に発生させる要因が集中していたようである。そして、その量と拡散の度合いは唯一内外の情勢を熟知する立場にあったイエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャ-ノにとって、日本の権力者や信者たちに対し隠しおおせる程度を遥かに超えるものになっていたということではないだろうか。

だからこそ、前回[その1]の記事で言及した「日本使節の見聞録」を編纂するに当たり、イエズス会にとって不都合であり出来ることなら捨象したかった「日本人奴隷問題」を、敢えて採り上げざるを得ないと判断し、逆に公明正大さをアピ-ルすることを狙ったのではないか、と私は考える。


2.
この本を通じて、実に数多くの日本人奴隷の厳しい生涯の一端が垣間見せられる。

前回、[その1]で書いたように、1587年の「バテレン追放令」発布の直前、秀吉はイエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョに使者を送り詰問を突き付けたと言われている。

イエズス会士ルイス・フロイスが編纂した『日本史』によると、秀吉はその際次のような要求をしたという。

・これまでにインドその他の遠隔地に売られていった日本人すべてを日本に返還するよう努力してもらいたい。
・もし、あまりにも距離があるため実行不可能な場合には、少なくとも現在の時点でポルトガル人が買い取ったためポルトガル人の所有になっている日本人奴隷を解放してもらたい(自分はその費用を立て替える)。

以前これを知ったときは、秀吉らしい余り現実的でない威嚇的な“ふっかけ”要求だなどと思ったのだが、今回奴隷として売られた多くの人々の悲惨な境遇の一端に触れることによって、私の印象も変わってきた。秀吉の要求は当然のことであり、最高権力を有する為政者としてむしろそうあるべき妥当なものだったと思えてきたのである。


3.〈序章〉の日本人奴隷ガスパ-ルの話は、異端審問所に追われ続けポルトガルの拠点を転々としたあげく長崎にたどり着いたた改宗ユダヤ人商人がおそらくは複数存在していたことを示唆している。

改宗ユダヤ人商人は、宗教上のまた商売上の理由によって移動を重ねるうちに、彼らが使役しまた商品とする日本人奴隷と出会う。改宗ユダヤ人商人と日本人奴隷の人生はそこで交差しまたその後軌跡が重なっていくこともあったということである。

改宗ユダヤ人商人ルイ・ペレスとともにマニラ、メキシコへと渡航せざるを得なかったガスパ-ルたちの例は、日本人奴隷拡散の一つの要因を示している。改宗ユダヤ人商人の抱えた事情によって移動を重ねなければならなかった日本人奴隷が他にもいたことは当然考えられる。

ところで、祖国ポルトガルからもその海外拠点からも追われ転々と移動してきた改宗ユダヤ人商人を日本のキリシタン信者は、どのように迎えたのだろうか。どうも、教会で教えられた通り、固く冷たい対応をしたらしい。

だから、日本人の宗教や人間に対する考え方や態度は狭く底が浅いなどとは思いたくないし、言いたくない。しかし、メキシコでガスパ-ルたち日本人奴隷が解放のために起こした訴訟で、自らの危険を冒してまで法廷で証言したペレスの二人の息子たちの行動は、長崎でペレスたち改宗ユダヤ人を目の敵(かたき)にした、おそらくは教会の教えに従順な日本人キリシタン信者たちと、対照をなしているようである。



4.従来、「大航海時代の日本人奴隷問題」については、その細部にまで立ち入った研究がなかったようであるがその理由として、著者は2点を挙げている。それは、16~17世紀の国内外の資料に該当するものが極めて少ないことと、彼らの売られていった経緯と状況を具体的に示す事例に欠けていた(少ない資料から抽出される情報の中に、という意味と思われる)ことである。要するに、頼りになる資料が不足しているということであろう。

そもそも、儲けたい一心で行われた取引である。記録を残す余裕などなかったであろう。加えて、一部に禁止する動きもあったのだから後ろ暗い行為である。できるだけ形跡を残さず、隠蔽しようとして当然なのだから、資料は少ない筈である。

しかし、研究が進展しなかった理由はそれだけではないだろう。逆に頼るべき資料が少ないということにあぐらをかく研究者がいたということはなかったのだろうか。それを示すのが、「はじめに」の中で筆者が述べている、ポルトガル人による日本人の人身売買について「そんな話は聞いたことがない。捏造ではないか。」というような発言を公開の場で(おそらくは、平然と)した、世界的に著名な研究者の存在である。

今から約40年前、「キリシタン時代史」の研究が一部の研究者の大変な努力によってやっと歴史研究として認められるものとなり、多くの人にとっても興味深いものとなったという教訓を思い起こすべきである。(極論すれば、それまでのほとんどの「キリシタン研究」は歴史研究の域に達していなかったのである。)その努力には既存の権威・権力への挑戦という要素も含まれる。研究者としてなすべきことをしないのであれば、「社会的責任」が問われることは言うまでもない。


5.本書はルシオ・デ・ソウザの著書『16・17世紀の日本人奴隷貿易とその拡散』の一部だということである。そして、日本イエズス会の奴隷貿易との関わりなど重要な問題は、その著書の残りの部分に含まれているということである。ということは、その残りの部分の内容が、昭和11年(1936年)に発行され名著と言われてきた岡本良知「十六世紀 日欧交通史の研究」を引き継ぎまたそれを超えるものとなるということである。

したがって、今回出版された部分は大部になる筈の残りの部分(本編)のいわば予告編だったということになる。作りの良い予告編を見ると、直ぐに本編を見たくなるのが普通だ。本編の翻訳も既に完成しているとのことなので、早期に出版されることを期待する。


〈つづく〉








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Commented by inoue at 2017-12-06 07:57 x
はじめまして、inoueです。10月頃から記事を読ませていただいています。
記事が更新されて、ますます楽しみです。


Commented by GFauree at 2017-12-07 02:39
inoue様
キリシタン時代史というと肯定派も否定派も感情に走りがちなように見受けられます。
私としては、史実を極力尊重しながら、当事者たちの心情や実情を洞察し実相と思えるものを組み立てるようにしてきました。
そして、そこで浮かび上がってくるものを見て頂ければと思っています。
これからは、時代や地域の幅を広げながら考察を深めていこうと思っています。
引き続き宜しくお願い致します。
岩井
by GFauree | 2017-12-06 01:07 | 日本人奴隷 | Comments(2)