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もうひとつの「贈り物」


3月半ばに始まった「外出制限」の中、伝記「さむらいウィリアム 三浦按針の生きた時代」と小説「NAGASAKI 夢の王国」が予想外にすんなり読めたことで調子に乗った私は、英語とスペイン語の原書を読んでみることにした。以下2冊である。

1.Chales Ralph Boxer著   The Christian Century in Japan (キリシタンの世紀)1549-1650
2.Lothar Knauth著 Confrontación Transpacífica El Japón y el Nuevo Mundo Hispánica (太平洋を超えた対決 日本と新世界スペイン語圏)1542-1639

表題の年代は、1542(鉄砲伝来)、1549(ザビエル到来)、1639/1650(鎖国完成)であり、いわゆる「キリシタン時代」を表わす。
もっとも、最近は、鎖国なぞなかったという議論があるから、事情はより複雑である。

どちらの本も、ペル-から日本に来て秀吉に会った男(フアン・デ・ソリス)について知りたくて、日系ペル-人作家Fernando Iwasaki Cauti 著「Extremo Oriente y el Perú en el siglo XVI 」(16世紀の極東とペル-)という本を読んだら参照されていたので入手したものだ。


フアン・デ・ソリスについては、記事を書いたことがある。



しかし、例によって直接関係のある箇所をつまみ食いしただけで放置したから、2割程度しか読んでいなかった。
なにしろ、私の語学力では原書を読むのは簡単ではない。「古文書解読」みたいな感じで読まざるを得ないのである。
「翻訳してはいけない。まず、原語のまま理解しなければいけない。」などという人がいるが、あれは腹が立つ。そんなことができたら、苦労はしない。だから、よほど気力・体力が充実していないと原書を読もうなどとは思わない。

ところが、今回はなぜか軽い気持ちで読み始めた。両方とも、本文が360~400ペ-ジある本だが、5月末から毎日少しずつ読み進み、8月末には殆ど読了した。本当に色々な意味で面白かったのだ。



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1.The Christian Century in Japan

著者のC.R.Boxerはイギリス人歴史学者、19才の時から24年間陸軍に勤め、その間3年間日本陸軍で日本語を学んだ。太平洋戦争中、香港で負傷し1945年まで4年間日本軍の捕虜として過ごした経験を持つ。2000年に96歳で亡くなっている。

この本で使われている英語はオーソドックスで解りやすいので、私には有難かった。辞書に書かれている典型的な慣用句などもそのまま出てくるので、受験勉強を思い出して懐かしい。

内容は、マルコポーロから日本の鎖国完成まで広く深く豊富である。1951年に書かれた本だが、それ以降、日本のキリシタン時代に関して研究したり、本を書いた人は皆この本を参照したのではないかと思う。イエズス会内の報告・書簡や日本の文献も相当読んだようで、大変な読書量だと思う。日本画の狩野派がフランシスコ会と関係があった、などということまで書いてある。そんなことは私は知らなかった。

加えて、随所に滲み出る冷静な観察眼、厳しい批判精神は快い。これは、「イギリス人の合理性」や「プロテスタント国」であることなどで説明されそうな特徴だと思うが、私はそれらはあまり関係がないと思う。一時期、「イギリスは~だ」などというムード的な好みをはやす皮相なキャッチフレ-ズが流行ったことがあったが、私は肯定的であれ否定的であれ、国民性というもので納得したりはできない。ただ、イエズス会の進出を拒否したイギリスの歴史が彼に影響を与えたことは、考えられる。

そして、もう一つの要素は、彼が教会関係者ではなく、またこれを書く以前のほとんどは軍隊で過ごしていたことである。私は正直言って、キリシタン時代史が長い間合理的歴史研究と言えるものにならなかったことについて、教会関係者の責任を考えざるを得ない。

ただ、イエズス会に批判的だからと言って、Boxerは、ドミニコ会・フランシスコ会など托鉢修道会賛美に流れてはいない。また、組織としてのイエズス会に批判的であっても、異国での宣教活動に献身した聖職者個人に対するBoxerのまなざしは基本的には暖かい。また、日本軍の捕虜であった経験は、鎖国・禁教後の信者が置かれた環境に対する洞察にも生かされている。

この本は、「キリシタン史はイエズス会を主とするカトリック教会の日本布教の歴史である。」という考え方によって書かれており、私はその考え方は当たっていると思う。そして、その時代のカトリックの日本布教は、マカオ・長崎間の貿易によって経済的にも、政治的にも、精神的にも支えられたものだったと考える。それゆえに、この本に示されるように、キリシタン史はその時代の日本国内の政治情勢や、諸外国勢力の動向を如実に映すものになったし、それは限りなく興味深い。



2.Confrontación Transpacífica

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著者のLothar Knauthはドイツ生まれの、国立メキシコ自治大学教授である。相当高齢だと思うが、まだ健在らしい。この本は、日本のキリシタン時代史をスペイン語圏(スペイン・南米・フィリピン等)諸国の観点から見て、スペイン語で書かれたものである。そういう本は珍しい。

まず、日本が技術の進んだ穏健で秩序ある国だと分かっていても、その歴史に関心を持ったり研究しようという人は極めて稀である。まして、自分たちが約500年間やむを得ず従ってきたキリスト教を賢明にも排斥した国があったなどということはとても信じられないし、信じたくもない。だからそんな歴史はなかなか学ぶ気にもなれないのではないか。

この本は、1971年に出版されている。イエズス会文書に基いてキリシタン教会の活動を内外の経済的・政治的側面から解明した高瀬弘一郎氏の画期的な論文集「キリシタン時代の研究」が出版されたのは1977年だから、この本はそれより6年早い。その時期は、何かの機運が高まろうとしていたのだろう。

この本が扱っているのは、日本のキリシタン時代史だから、当然当時の日本国内の政治情勢、戦国末期から信長・秀吉による天下統一、家康による徳川政権樹立が説明されている。が、私にとってこの本の中でより興味深かったのは、同時期にフィリピン・インドネシア諸島で繰り広げられていたポルトガル・スペインによる覇権争いである。当然のことながら、それは日本へのキリスト教布教にも影響を与えていた。

例えば、こんな話がある。

1549年渡来したフランシスコ・ザビエルが初めて日本にキリスト教を伝えたと教科書に書いてある。ところが、その時ザビエルと共にコスメ・デ・トレスというイエズス会の神父が渡来しているのだ。

ザビエルとトレスの出会いについては、記事に書いたことがある。


が、それはポルトガル・スペイン両国の覇権争いの産物なのである。この本を読むと、それがよく分かる。

また、この時期の日本とスペイン語圏諸国との接触を示す出来事として有名なのは、フィリピン・メキシコを結ぶガレオン船の土佐沖への漂着、千葉沖での座礁である。一方は「26聖人殉教」のきっかけになり、他方は外交交渉の契機になりかけた。また、伊達政宗の慶長遣欧使節団のメキシコへの派遣に発展した。こうした動きの陰で、フィリピン・メキシコの植民地当局がどのような状況に置かれていたのかが、この本に書かれている。

スペイン語圏諸国の行動の特徴的な点は、日本のキリスト教布教を独占的に進めていたイエズス会を抑えて、何とか日本に進出しようとしたフランシスコ会・ドミニコ会・アウグスティノ会など托鉢修道会の活動をマニラのスペイン植民地当局が支援したことである。この本の著者Knauthもその対立を引き継いで托鉢修道会に肩入れした書き方をしている。それは、修道会間の対立については中立的な姿勢を保とうとしているBoxerとは対照的である。





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右の地図を見て頂きたい。この時代、ゴア(インド)・マラッカ(シンガポ-ル)・マカオ(香港)というポルトガルの東南アジア進出ラインに、長崎が拠点の一つとして組み込まれようとしていた、と考えてもおかしくない気がするが、どうだろう。

そして、マカオとマニラは意外と近い。1,150kmだから、東京とソウルの間ぐらいの距離だ。

ポルトガルとスペインの拠点であるマカオとマニラは長崎から見ると、ほぼ同じ距離、同じ方向に並んでいる。まさに、南蛮の方向である。


そして、スペインが発見するのに大変な苦労をしたマニラからメキシコへ向かう航路は、日本の近海をかすめている。

地図に書かれている Tidore(ティドル),Ternate(テルナテ)はインドネシアのモルッカ諸島の島々であり垂涎の的だった香料の原産地であることから、ポルトガル・スペインがその争奪をめぐって死闘を繰り広げていた土地である。やがて、この海域は紅毛と呼ばれるオランダ、イギリスに抑えられてしまう。


私は、上記2冊の本を読むことで、その時代の日本をマカオ・マニラという2地点から眺めることができたように感じ、またそうすることでその時代をより立体的に感じることができた気がしている。



私がこれら2冊の本を読んでうれしかったことは、他にもある。
それは、英語とスペイン語がそれなりに役立ったことである。
私は、外国語を習得するための特別なというのか専門のというのかそういう訓練を受けたことがない。英語は中学の時、得意だった6歳上の姉に習ったから、普通の人よりはできた。学生時代、習いに行きたいと思うことはあったが、家にそんな余裕はなかった。あとは、仕事である程度必要だった。

スペイン語は、日本にいる頃に自習して、こちらに来てから1年半だけ語学学校に通った。年齢のせいかもしれないがあまり上達しなかった。どちらも、流暢に使えるレベルではない。それで、それなりに努力したのにあまり意味がなかったなという思いを持ち続けた。それが、今回けっこう読めることは読めることが分かった。

経験したことが役立つと思えることは楽しい。精神衛生に良い。
それが、思いがけない「もうひとつの贈り物」である。

これで、気を良くして英語もスペイン語も読み続けようと思った。英語は前から次に読むあてがあった。スペイン語はいろいろ考えたら、ひとつ思い当たるものがあった。去年の11月ごろ、あるペル-人の方から渡されたスペイン語本のコピ-があったのだ。それで、その本を8月末から読み始めた。

「大航海時代」とは関係のない本だから、それについては別のブログに書くことにした。


以上







by GFauree | 2020-12-09 11:51 | コロナ禍 | Comments(0)  

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