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消えていった或る理想郷 そのII 著者前書き

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江戸時代初期、本格的な「禁教・鎖国」令によって、イエズス会士をはじめとする宣教師たちの日本からの追放が徹底されようとしたちょうどその頃、イエズス会は南米の広範な地域において、「教化村」(「イエズス会国家」)を建設しつつあった。それを論じたのが、イギリス人政治活動家・作家であるRobert Bontine Cunninghame Graham (ロバ-ト・ボンタイン・カニンガム・グレアム)の著書『A VANISHED ARCADIA』(『消えていった或る理想郷』)である。

今回は、その書の冒頭の「著者前書き」から、著者の観点や考え方を抽出してみようと思う。



イエズス会とは

我らがイエズス会士は、”野鳥”(「奔放かつ鋭敏であり時には獰猛にもなる」という意味か)のような存在であることが、世に知られている。ロ-マ教皇の近衛兵であり、多くの破壊をもたらした(過激な)修道会であり、神学上の新たな概念‘’中間知‘’の発案者を育てた組織でもある。それは、‘’教義‘’というものが流行らなくなった時代に、‘’単なる信仰‘’にすがる姿勢を批判し、‘’行い‘’または‘’事業‘’というものを重んずることを意味した。

先入観に満ちた世界で、予め与えられた考え方に代えて新たな福音をもたらすことが出来た者は彼ら以外に居なかったのではないか。(神の恩寵の意味を絶対化し、人間の非力さを強調する、つまり極めて厳格な)ジャンセン主義者でさえ、フランシスコ・ザビエルの主張を認めたに違いない。(それ程、イエズス会は純粋性を認められた集団なのだ。)


彼らの「教化村」建設をどう評価するか

私は個人的には、彼らの「国家」の政治的側面、またはそれがスペイン植民地において如何なる役割を果たしたか、つまり、それが結果的にスペイン王室の利益となったか、イエズス会の仕業とされた野望の罪や責任は嘘だったのか、はたまた本当だったのか、などには殆ど関心がない。

この件に関する私の唯一の関心は、イエズス会による統治が如何に先住民に作用したか、それが彼らを幸福にしたのかどうか、スペイン国家またはスペイン植民地副王庁の総督によって直接統治されていた先住民に比べてより幸福だったのか、そうではなかったのか、ということである。


イギリス人から見たスペイン人

Anglo Saxon族(であるイギリス人)に言わせれば、「スペイン人征服者は血に飢えた殺し屋のようなものなのだから、スペイン植民地の先住民たちは、多数のグレ-ハウンド種の猟犬の中に放たれた野兎のようなものだった」ということになる。だから、先住民に献身し尽したイエズス会のルイス・モント-ヤ神父のようなタイプの人間を植民地のスペイン人の中に見つけることは、殆ど不可能なことだったことになるのだ。


理想郷であった「教化村」が消滅したあとに起きたこと

イエズス会がスペイン及びその海外植民地から追放された後の論争においては、あらゆる類の悪口がイエズス会士に対して投げつけられた。しかし、パラグアイにおける彼らの統治の間の活動に関しては、少数の元イエズス会士以外は誰も悪意をもってそれらを語ることはなかったのだ。

イエズス会退去後に関して確かなことは、ウルグアイとパラナの間では、退去から2~3年後以降からは、全くの混乱状態に陥ってしまったということだ。20数年の間に、大部分の「教化村」は見棄てられ、30年が過ぎる頃には、過去の繁栄の痕跡は跡形も無くなっていた。

イエズス会が導入した半共産主義は一掃され、「教化村」の収入は減り、全てが腐敗した。

総督ドン・フアン・ホセ・ヴェルティスが副王に報告しているように、政府が送った教区司祭たちは大酒飲みであり喧嘩屋であり、コートの下に武器を携行していた。盗みは蔓延し、先住民たちは毎日数百人ずつ村を捨て森へ還って行った。

イエズス会によってパラグアイに莫大な「富」が貯め込まれていた、という報告は全て噓であることが明らかになった。どの「教化村」からも、重要なものは何も発見されなかった。イエズス会士には、追放について事前に何も通報されていなかったし、捜索に対して準備をしたり「金」を隠匿したりする時間は与えられなかったにもかかわらず、である。


彼らは「教化村」で何を実現しようとし、どのように去って行ったか

イエズス会士たちは、先住民に対しまるで神のような考え方に立ち、世俗権力が行使することが出来たであろうものより遥かに強大な武力を有していたけれども、彼らは抵抗しなかった。そして、彼らの支援と勤勉さによって育ててきた豊かな土地から静かに離れた。

正しかろうが、間違っていようが、彼らの思想によって彼らは、彼らが生きた時代のヨーロッパの進歩の最良の部分の全てを先住民に教えることに努め、商業主義との接触から先住民を保護し、先住民を奴隷として扱うスペイン人入植者と先住民との間に(盾となって)立ったのである。こういうことが、彼らの罪とされたのだ。

人の心の中に‘’野望‘’があるとかないとかを詮索して、人の心の内を探る権利など誰にもない。イエズス会士たちがヨーロッパにいる上司から何を期待されていたかなど、考える必要もないことではないか。


戦い済んで日は暮れて

全てが語られ、なされた今、彼らの勤めは終わり、彼らの働きは全て無駄になった。(私心のない者の努力に対し、常に起こるように。)スペイン王権の全てのアメリカ領土の名を汚す奴隷制度に抗して、約2世紀の間耐えねばならない程の、どんな酷い罪を彼らが犯したというのだろうか。

敢えて真実を語ろうとすることは最大の悪であり、進歩的で参加するためには多大な税負担を要する(高級なヨーロッパ)社会においては、自分の真の考えを実践しようとすることは、社会の面汚しということになるのだ。

約2百年間、彼らは努力した。そして、かつて人が集住しよく耕作された彼らの領地は、砂漠でないにしても、アメリカ亜熱帯植物の生命力の凄まじいなり放題に身を任せている。(その亜熱帯植物は、まるで自分が成長しているその土地の所有をめぐって人間と争っているようにさえ見える。)


物事は全て、最も良い形で起こる

「この世に起こることは全て、最も良い形で起こる」ということは些かも疑うべきでない。疑うな、なぜなら、もし一旦疑えば、あなたは見るもの全てについて疑うことになるからである。我々の人生、我々の進歩、そして自分自身の絶対的確実性を。

これは万難を排して守るべきことである。



〈つづく〉

by GFauree | 2022-03-07 13:09 | イエズス会教化村 | Comments(0)  

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