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2017年 09月 28日
# by GFauree | 2017-09-28 06:55 | Comments(4)
2017年 09月 28日
# by GFauree | 2017-09-28 06:55 | Comments(4)
2017年 06月 18日
前々回[その1]ではこの小説のあらすじを、前回[その2]ではこの小説を読みながら考えたことを書いたが、今回はこの小説を通じて作者は何を言いたかったのかについて、考えてみた。
この物語は、人生の岐路において目先の栄達や感情に引きずられ、愚かな選択を重ねたあげく、苛酷な運命に弄(もてあ)ばれてしまった男の悲劇とでも呼ぶべきものでは、と最初私は思った。しかし、色々考えているうちに、もっと違う意味があるのではと思うようになってきたので、それをお話しよう。
1.人生の選択
(1)主人公フェルナノ・ロペスは、学校では良く出来た神経質で知的な青年だった。その彼が、親友ジュアノ・Dの従妹ロ-ザを彼から奪う。フェルナノの無理は、もうそこから始まっていた(ような気が私にはする)。
ところが、恋人を奪われた失意の末遠征隊に加わり成功者として戻って来たジュアノが持ち帰った財宝、そしてそれによって彼を見直す人々、更には彼がロ-ザに贈った頸飾りが、フェルナノを平静ではいられなくした。
性格が向いていないとして心配する妻ロ-ザの反対を押し切って、フェルナノはインドへの遠征隊に加わる。結果から見ると、ロ-ザの見方は当たっていたようだ。
(2)フェルナノは、ゴアの大虐殺の夜、一人の舞妓を見逃す。その後、現地人の男によってその舞妓アイシャと引き合わされ、フェルナノは我を忘れた。リスボンを出てから5年間、海と戦闘と血と掠奪しか見て来なかった彼には、たとえそうすることに危険を感じたとしても自分を抑えることはできなかったのだろう。フェルナノの心は、キリスト教からも故国ポルトガルからも次第に離れて行き、やがて彼は叛乱軍に加わることになる。
(3)マラッカ攻略から戻ったポルトガル副王ダブルケルケは、フェルナノを含む叛乱軍の棄教者たちに対し「右手首と左拇指を切り落とし両耳と鼻を削ぐ」刑罰を与えた。刑の執行後、棄教者たちは見せしめのためポルトガルに送られたが、フェルナノはその恥辱を免れゴアに残された。
2年後アイシャが病気になると、フェルナノは乞食の身となり土民から蔑(さげす)まれたが、半年後アイシャが一時的に回復するとまた彼女に庇護された。しかし、その年の末アイシャは死に、ロペスはまた自活しなければならなくなる。彼が頼み込んでポルトガル行の船に乗せて貰ったのは、その翌年の秋のことである。
2.後悔の念
作者きだみのる は、自選集のあとがきの中で「自分のことを語るのは、いつもつらいことだ。自己は厭うべく憎むべき存在だ。」と述べている。何故か物語の中ではあまり触れられていないが、強い後悔の念が主人公フェルナノを苦しめ続けたはずだ、と私は思う。
まず、回教徒に対する襲撃・掠奪・破壊の繰り返しの日々の中で、ポルトガルを出たときには予想すらしていなかった危険な環境に置かれてしまったことを後悔したことがあったかも知れない。しかし、何と言っても強烈な後悔の念に苛(さいな)まれるようになったのは、棄教した叛乱軍の一味として処罰され、それも酷(むご)い刑罰によって不自由な身となり、それまで自分より下に見ていた土民からすら、蔑(さげす)まれるようになってからではないか。
フェルナノは何を後悔したのだろうか。
なぜ、叛乱軍に加わってしまったのか。なぜ、棄教してしまったのか。なぜ、アイシャに対する熱情の虜(とりこ)になってしまったのか。なぜ、大虐殺の夜、アイシャを見逃したのか。そして、なぜ、インド遠征隊に加わったのか。なぜ、ジュアノが持ち帰った財宝に目を眩(くら)ませてしまったのか。なぜ、親友だったジュアノからロ-ザを奪ってしまったのか。
人にとって、人生の節目のたびに自分がしてきた選択の全てが、後悔の種になり得る。だから、後悔の種は、誰もが心の中に抱えていて、心が弱ってくると容赦なく自分を痛めつけかねないもののようだ。そして、後悔の念ほど、激しく人の心を傷つけるものはないのではないだろうか。
ただ、フェルナノの場合、それほど後悔の念に苛(さいな)まれながら、妻ローザ、舞妓アイシャ、娘アンジェリカへの思いだけは変わることがなかったようだ。後悔だらけの人生ではあったけれど、彼女らが自分に与えてくれたものだけは、無にしたくなかったということだろうか。それとも、生き延びるためには、自分を大切に思ってくれた彼女たちの面影にすがる他なかったというだけのことなのか。
3.人間への恐れ
ポルトガル行の船に頼み込み乗せて貰ったフェルナノは、またもや決定的な後悔を味わう。
同船者の示す軽蔑や彼を眺める視線や彼を避けたり憐れんだりする態度が、自分の行先に絶望を感じさせた。彼の知らない人々である同船者さえ、かれをそのように扱う。ポルトガルに戻れば、自分を既に知っている人々の社会に背教者、裏切者として組み込まれなければならないのである。
フェルナノは人間の残酷さを思い、「どんな猛獣より人間は猛獣だ。」と嘆息した。しかし、彼はその人間の残酷さを既に自分の中に見出していた筈である、と私は思う。
この小説は僅か30数ペ-ジの短編であるが、そのうち4~5ペ-ジを割いてポルトガルの遠征隊の行状が描かれている。回教徒に対する残忍な襲撃・掠奪・破壊の反復である。なぜ作者はそれをそれほど詳しく語ったのだろうか。
その疑問を考えているとき、その描写はポルトガルの遠征隊自体が「猛獣の集団」であったことを示していることに私は思い当たった。ということは、遠征隊を派遣し襲撃・掠奪・破壊による収益を吸い上げていたポルトガル国家も「猛獣の集団」であったことになる。作者がそこまで考えていたかどうかは分らないが、そう考えれば祖国の社会に対するフェルナノの絶望感はいよいよ救いがたいものであったことになる。
4.無人島で独りになったときに始まった、彼の本当の人生
無人島に仮泊した船から逃れ独りになったとき、フェルナノは完全に自由を感じ、烈しい空腹を覚えた。-鼻かけ男の大宴会-である。それから、食糧と住居を確保し、平和で静かな日々を着々と築いていった。
10年経った頃、島に着いた船から逃げ出した奴隷を3カ月で追い払うと、また孤独と平和が戻って来た。島に来る船員たちと接触することによって、人に対する異常な恐怖も失くなっていった。
5.棄教の罪
更に10年の月日が流れ、彼は死を意識するようになり、棄教の罪を気にかけるようになった。恐らくは、人間に対する恐怖が消え静かな生活を送る中で、自分に与えられた運命を全うすることこそ、自分に課せられた使命であると考えるようになったのではないか。そして、その使命を自分に与えた神を裏切った罪に対する呵責の念がふくらんできて、許しを得たいと思うようになったのではないか、と私は考える。
ロ-マへ行き法王から許しを得たのち、また無人島へ戻り、さらに10年余を生きることが出来た。
6.作者は何が言いたかったか
よく若い頃のことを思い出して懐かしがる人がいるが、私はそんな人を羨ましい気持ちで眺めて来た。実は、私にとっては、若い頃どころか中年・壮年と言われる時期を思い出すことすら恐ろしい。
今考えると、学校を終えて働き始めたころは、人間についても、社会についても、仕事についても、まるで分かっていなかった。そんな肝心なことが分からずに働いているのだから、目先の損得や功名心にかられて、いつも欲の皮を突っ張らせるしかなかったのである。
しかも、自分の性格や能力を考えて欲求を抑えるという賢明さも持ち合わせていなかったのだから、ほとんど薄氷を踏むような危なっかしい日々を送っていたことになる。そして、それを中年・壮年期まで続けてしまった。だから、そんな自分を思い出すのは、恐ろしいことなのだ。ただ、最近知ったことは以前の自分を思い出したくないと考えている人は、決して少なくないらしいということである。
私は、作者の「自己は厭うべく憎むべき存在だ。」という言葉をそういう風に受け留めている。そして、人生は生きれば生きるほど過ちを犯しかねない危ういものではあることは間違いないと思う。ただ最近になって、それを生き切ることに救いもあり得るのではと考えられるようになった。それで、作者もそう言いたかったのではと思う。
7.主人公と作者の最期
主人公の最期について小説では、「1547年の春、仮泊した船の乗員が彼(フェルナノ)が死んでいるのを発見した。」とされているだけである。
作者きだみのるは、この作品を発表した当時、58歳前後でありそれはほぼフェルナノが死んだとされる年齢である。そして、きだは80歳で亡くなっている。きだの最期については、発表された遺作の解説に子息と思われる方の書かれた次のような文章があることを、山口瞳が書いている。
「最後は病院で憧れの女性(であり続けた妻)に手を取られて息をひきとった。顔には満足したような、やさしいほのかな微笑を浮かべていた。」
山口瞳は、「フェルナノはきだ自身であり、ローザは彼の妻であり、アイシャは彼と暮らしていた若い女性であり、アンジェリカはその女性との間にできた幼い娘である。」としている。
〈おわり〉
[参考文献]
男性自身 英雄の死 鼻のない男の話 山口 瞳著 新潮文庫 新潮社
きだみのる自選集 第一巻 鼻かけ男の話 読売新聞社
# by GFauree | 2017-06-18 08:43 | 鼻のない男の話 | Comments(3)
2017年 06月 02日
# by GFauree | 2017-06-02 03:28 | 鼻のない男の話 | Comments(2)
2017年 05月 20日
山口瞳の『男性自身』から
山口瞳は、「週刊新潮」に『男性自身』と題するコラムを1963年から31年間連載し続けた。その『男性自身』は「男性自身シリ-ズ」として新潮社から刊行されているが、そこからセレクトした作品を収めた作品集が何冊か文庫本になっている。
『男性自身』は週刊誌のコラムだけあって、サントリ-・ウィスキ-の宣伝でよく目にしたことのある漫画的な(独特の味のある)柳原良平の挿絵が添えられていて、一見読み易そうであるが、内容はかなり濃かったり深い含蓄があったりするものが多い。
正直に言うと、山口がそれを執筆した年齢の頃の私には理解できず、最近になってやっと意味が分ったりすることが結構ある。「あれは、こういう意味だったのか」というその感じが私は楽しみで、今でも時々図書館から借りて来て読んでいる。
きだみのる の小説
その文庫本の中の一冊、男性自身 「英雄の死」(新潮文庫)に、「鼻のない男の話」は収められている。これは、きだみのる の小説「鼻かけ男の話」について書かれた一文である。原題「鼻かけ男の話」が「鼻のない男の話」とされているのは、身体的欠陥をあけすけにいうことを避けるという配慮のためだろうと思う。
この小説の梗概(あらすじ)は、山口瞳のコラムの中に書かれているが、その内容をお伝えしなければ話が進まない。かと言って、そこに書いてある梗概を全て丸写しにする訳にもいかない。そこで、拙いことは承知で私なりにあらすじをまとめてみたので、先ずは目を通して頂きたい。一部どうしても丸写しになってしまったことは、ご容赦頂きたい。
「鼻かけ男の話」梗概(あらすじ)
1.時は、15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて、ポルトガルがスペインとの間に世界分割を協定したトルデシリャス条約を結び、アフリカ沿岸経由で東に向かって盛んに「発見・征服」を進めていたころの話である。
主人公フェルナノ・ロペスはリスボン生まれ、ギリシャ語を貴族の子弟たちに教える文学趣味のどちらかと言えばひ弱で地味な青年だった。が、彼は、親友ジュアノ・Dが好意を抱く美しい彼の従妹(いとこ)ローザに思いを寄せ、ついには彼から奪ってしまう。
傷心のジュアノ・Dは、インド航路を発見しリスボンに戻って来たヴァスコ・ダ・ガマの第二回の遠征に身を投じる。5年後に戻って来た彼は夥しい財宝を持ち帰り、ローザに大きなダイアモンドの垂れた金の頸飾りを贈る。
フェルナノはジュアノが持ち帰った財宝に幻惑された。ジュアノとは性格が違うというロ-ザの反対を押し切って、フェルナノはインドへ赴く遠征隊に加わった。彼の出発の5か月前に娘のアンジェリカが生まれていた。
2.ロペスの乗り組んだ船隊は、海沿いの町を次々に襲撃し、市街地を焼き、掠奪し、全ての住民を殺して進んでいった。ポルトガル王は掠奪品総額の2割を徴収することを引き換えに掠奪を公認し、香料を王室の専売品とし、インドから運ばれた商品に対しては品物によって62.5%までの輸入税を徴収していたのだ。つまり、遠征隊が掠奪を進めれば進める程、ポルトガル王室が莫大な利益を得る仕組みになっていた。ポルトガル王室こそ遠征隊という名の盗賊の元締めだったことになる。
遠征隊は、苦戦の末、ついにはインドの“黄金の都市”ゴアをも占領し、守備兵9千人、回教徒6千人を皆殺しにした。この虐殺に参加したロペスは、ある建物の中で若い女に出遭い、彼女を見逃した。大虐殺の夜、ポルトガルの軍人に見逃して貰った美貌の舞妓がいたことが噂になる。
3.ポルトガル兵の中には、土地の娘と結婚し、棄教し、雑貨屋の主人になった者も居た。その雑貨屋と取引のある現地人のロサルカッドという男が、ロペスと問題の舞妓との再会を手引きした。ロペスは、舞妓アイシャに対する熱情の虜(とりこ)となった。
ある時、ポルトガル軍の隊内で棄教の疑いのある者たちが責め立てられ、棄教者たちは土民兵とともに反乱を起こした。教会と国家とが一体となった体制のなかで、ポルトガル人であってもキリスト教を棄てた者は国家への反逆者とみなされ、ロペスもその中の一人だった。ロサルカッドは彼らを助け守備隊長となった。
4.マラッカ(シンガポ-ル付近)の平定に向かっていた副王ダブルケルケがインドに戻って来た。彼は叛乱軍である守備隊に対し降伏勧告を行い、棄教ポルトガル人の無条件引き渡しを要求した。ロペスは叛乱軍の発起人と見られていた。ダブルケルケは棄教者たちの右手首と左拇指を切り落とし、両耳と鼻を削いだ。そして、彼らを見せしめのためにポルトガルに送ったが、ロペスだけはこの運命を免れた。
1516年秋、ゴアからリスボンに向かって出発したサン・ミカエル号に鼻のない男ロペスが頼み込み乗船した。同船者たちは彼を悪魔の使であるかのように眺め、「どんな猛獣よりも人間は猛獣だ」とロペスに思わせた。彼は、アイシャの遺品である頸飾りを船長に渡し、娘のアンジェリカに届けるように頼んだ。
船が、アフリカから2,800km離れた南大西洋に浮かぶセント・ヘレナと呼ばれる無人島に仮泊したとき、ロペスは姿を消した。
5.ロペスが無人島に暮らして10年が経った頃、彼は本国中に広く知られる存在となり、「ロペスは今年もセント・ヘレナ島で生きているかどうか」が賭(かけ)にされるようにさえなった。
更にそれから10年の歳月が流れたころ、ロペスはリスボン行きの便船に乗った。王宮に行き王と妃に会い、ロ-マに行って法王から棄教の罪に対する赦(ゆるし)を貰った。
そして、法王に懇願して国王宛てにセント・ヘレナ行の船に乗れるよう手紙を書いて貰ったので、国王は彼をセント・ヘレナに送った。法王によって良心の咎を拭われ、彼の心は軽くなり人間に対する恐怖も鎮まっていた。
6.鼻のない男は、その後無人島でさらに10年ばかり生きたようだ。
1815年、ナポレオンがセント・ヘレナ島に着いたとき、ロペスの飼っていた家畜の子孫が野生に戻って生存しているのを発見したと言われている。
この小説について私が考えたことは、次回お伝えしたい。
[参考文献]
男性自身 英雄の死 鼻のない男の話 山口 瞳著 新潮文庫 新潮社
きだみのる自選集 第一巻 鼻かけ男の話 読売新聞社
# by GFauree | 2017-05-20 03:53 | 鼻のない男の話 | Comments(0)
2017年 03月 12日
# by GFauree | 2017-03-12 07:33 | 有馬晴信 | Comments(2)
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